ホーム | 日系社会ニュース | ■ひとマチ点描■サンパウロ市に眠る初代大使

■ひとマチ点描■サンパウロ市に眠る初代大使

ニッケイ新聞 2010年10月30日付け

 11月2日はブラジルのお盆「死者の日(Finados)」。お墓参りに出かける人も多いだろう。
 日本移民の歴史に名を残し、ブラジルの地で亡くなった幾多の人々。しかし、その足跡を直に知る人が減るにつれ、存在さえ忘れられてしまう墓もあるかもしれない。
 戦後、初代駐伯大使を務めた君塚慎。その墓がサンパウロ市アラサー墓地にあることを知る人は少なくなっただろう。
 戦前にブラジル東山総支配人を務めた君塚は、スマトラ東山総支配人を経て、戦後東山企業の社長に就任。52年10月から55年3月まで民間出身の大使としてリオに赴任し、凍結資産解除、戦後移住の再開など対伯外交に大きな役割を果たした。帰国翌年、東山の相談役として再び滞伯中に脳出血で客死。64歳。
 「SHIN KIMITSUKA」と名前の部分が白く塗られた君塚の墓は、アラサー墓地の正門から入り、正面の建物から右に入った先の86―Aの場所にある。葬儀は盛大な社葬だったそうだが、訪れた東山関係者によれば、今では定期的な清掃は行なわれていないようだ。
 忘れられた、忘れられつつある墓がある一方で、リオでは08年の移民百周年を機に、岩手県人会が同県人の杉村濬第3代公使の墓を改修したことは記憶に新しい。
 ただ埋もれるにまかせるのは、やはり寂しい。何とか伝えていくことはできないものか。(ま)

image_print