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リオ・フンシャル移住地=今年で25回! 餅つき忘年会=伝統行事支える若手ら

ニッケイ新聞 2010年12月24日付け

 【フンシャル共同=名波正晴】リオデジャネイロ近郊のリオ州フンシャル移住地で18日、餅つき・忘年会が行われた。 移住地の結束を示す年末恒例のイベントは今回で25回目の節目を迎え、この日使われた餅米の量も昨年より約2割も増えて百キロに。
 日本でも見かける機会が極端に減った杵と臼を使った手作りの伝統行事には百人近くが参加し、入植50周年を迎える新年への思いを新たにした。
 ガスコンロで炊かれた餅米が直径50センチを超える臼に移され、男性陣がテンポ良く杵を振るい落とす。気温が30度近くに上がったこの日、午前9時すぎから、移住地の会館では熱い餅が次々と振る舞われた。
 式典では、小松滋文化体育協会長が「来年は50周年の節目。皆さんの協力をお願いしたい」とあいさつ。
 来賓の鹿田明義リオ州日伯文化体育連盟理事長も「1986年からの餅つき大会で私は皆勤賞。この大会がないと年を越せない」と話した。
 在リオ日本総領事館からは総領事代行の木村元・首席領事、礒﨑正名、石井靖昭の両領事も出席。木村首席領事は「入植50周年には微力ながら何とか貢献したい」と述べ、日本政府の支援も示唆した。
 リオ日本人学校からも大越邦生校長、荒牧隆教師らが力仕事役として参加。
 地元のカショエイラスデマカク市のラファエル・ミランダ市長は「家族や友人が集まって一つの食べ物を作るという日本の文化は素晴らしい」と絶賛した。着色料ではなく、生のヨモギを使った草餅はコロニアならではの味だ。
 移住から半世紀近くたった現在、二、三世の多くが移住地の外に暮らし、グアバ栽培などで生計を立てる24家族、約60人の中心は一世だ。長老・古木三右衛門さん(77、秋田)は「人数が少なくなっても精神まで過疎化してはいけない」と鼓舞する。
 4年前に夫に先立たれた黒沢フヂさん(73、岩手)は「移住地の皆に囲まれ、朝の散歩を楽しむ毎日。少しばかりのグアバ作りがぼけ防止」と笑う。
 週末は通学先のニテロイから移住地に戻る三世の中山民江さん(21)も「(餅つきは)日本でも少ないコロニアの文化。いつまでも残したい」と、次世代を支える若手が徐々に結集しつつある。
 その移住地の自慢話の一つは67年5月、当時皇太子さまだった天皇陛下が電撃訪問されたことだ。夜明け前、大統領専用のロールスロイスで到着されたといい、市村輝夫さん(86、長野)は「霧に包まれた早朝、突然のことだった。とにかく皆が驚いた」と振り返る。
 フンシャルは日本のエネルギー政策の基軸が石炭から石油に代わったのに伴い、主に炭坑離職者の定住先として開拓。リオ州唯一の日本政府の直轄移住地で、61~63年に計48家族が日本から移住した。62年に家族で農業移住した岩本洲さん(68、北海道)は「移住当時は日本もまだ貧しい時代。ここで豊かになろうと皆が頑張った。フンシャルには夢とロマンがあった」と懐かしんだ。
 来年7月に予定される50周年式典のまとめ役は、津守真(つもり・まこと)次期文化体育協会長に引き継がれる。

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