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卒寿過ぎてなお旺盛な執筆欲=土俗化する移民を描く=「日本人の臨界」とは

特集 2010年新年号

ニッケイ新聞 2011年1月1日付け

 松井さんの紡ぐ物語では日本的な世界観とブラジル的な出来事がない交ぜになって展開する。日本語で書いてあるが、当地のセンスがしっかりと入り込み、まるで外国文学を読んでいるような味わいが生まれ、どこか滑稽で残酷、幻想的な南米文学の薫りが溢れている。
 還暦の頃、息子がスーパー経営を継いだのを機に隠居生活に入り、読書好きが高じて小説を書き始めた。「一番好きな文体は森鴎外。漢文調でしっかりしとるし、哲学と美意識がある」。
 純文学や哲学書など約1千冊が壁を占領している書斎を「私の半身」と言ってやまない。スチール製の折りたたみ机と椅子の上には、裸電球がぶら下がっている。夕食後など気が向いたらここに座る。農業移民らしい節ばった指で原稿用紙を埋める。コツコツと書きためてはある程度まとまると20冊程度を自家製本し友人に配っていた。日曜作家と思っていたので、祖国での出版には驚いた。
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 昭和恐慌で仕事を失った父・貞蔵は1936年、家族を連れて渡伯した。父はすでに48歳、農業経験まったくなし。松井さんは19歳だった。サンパウロ州奥地のコーヒー耕地で一年の農業労働者生活の後、マリリア市郊外で棉作りの歩合作に。戦後、父と意見を違え、妻子を連れてサンパウロ市近郊に移転、野菜作りをした。
 農村部でのこの実体験が小説の隅々に反映されている。「小説に書いたほどではないが似たような話は田舎にはちょいちょいある。決して表面には出ないが噂話でそんなのをしょっちゅう聞く」という。「50軒ほども日本人が集まった植民地になれば、必ず誰それが部落出身者だとか噂される家族が出てくる。それに義憤を覚えた。そんな話をするだけでも恥ずかしいことだと思っている。万民平等の社会でしょ。ブラジルまで来てそんなこと言うなと」
 代表作「うつろ舟」にも人里離れたところに兄妹だけで住む日系家庭が描かれる。「エバの父はなぜ邦人コロニアを離脱したのか、その間の事情は詳かではないが、そのような家族に年月が重なれば、土俗にまみれて家系も消失してしまうものか」(110頁)と仄めかす。
 主人公は苗字すら知らずにその妹エバと結ばれるが、徐々に来歴が明らかにされ、日本を遠く離れ、同胞社会からも押し出されて「日本人の臨界」ともいえる領域で生き抜いてきた或る〃裔〃(子孫)の姿が浮き彫りにされる。カボクロ層での日系人と一般社会のつながりに温かい共感を込めているところに松井作品の特徴がある。
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 元々移民の著作物において日系社会の否定的な未来を暗示する手法として、カボクロ化が描かれる傾向が強い。香山六郎編著『移民四十年史』(49年)にはすでに、コロノを続ける初期移民に関して次のような記述がある。「彼等は不衛生な生活を不潔な生活とも自覚せず、蓄えた小金を後生大事に固守し、第二世を文盲にしつゝカボクロ化の一路を辿っている。欧州移民が多年カボクロ化し、カイサラ化しているもの夥しいように、四十年の日本移民の多くも同じ歴史のコースを辿っている」(147頁)。
 土俗化する姿を描いたが故に祖国で評価されたとすれば、文化継承にこだわる保守本流のコロニア作家からすれば、仲間の快挙を喜びつつも少々複雑な想いかもしれない。
 否応なく「臨界」まで追いやられた移民の性を描く松井作品には大いに共感するが、臨界に流されること自体はむしろ自然だからだ。流れに棹して出自文化にこだわる保守派のあり方はとてつもない精神的浪費が伴う。それでもやらずにおれない心情、それもまた移民の性だ。
 ところが出自文化にこだわる保守派の見方は本国からは「当たり前」に映ってしまいがちだ。池に浮かぶアヒルと、異国という激流にいるそれは、一見すると同じに見えるが水面下ではまったく違う動作をしている。
 「臨界」を描くことが評価されるなら大半の移民文学が枠内にある。何をどう評価するか、読む側自体の日本文化に対する考え方もまた問われている。(深)

『うつろ舟』の松井さん

 「日本人」「日本文学」の臨界——。戦前移民の松井太郎さん(93、兵庫県)=サンパウロ市在住=の選集『うつろ舟』(松籟社、細川周平・西成彦編)が、8月に京都の出版社から刊行され、帯にはそんな言葉が並んでいる。「僕はコロニア向けに書いてきた。べつに日本の日本人に読んでもらいたいと思ったことはない。なのに私を選りだして肩入れしてくださり、本にまでしてもらった」と喜ぶ。90歳を越えてなお旺盛な執筆活動をする松井さんに、作品の背景を聞いてみた。

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