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ノロエステ発展の礎石に=五十嵐二郎元会長が死去

ニッケイ新聞 2011年1月8日付け

 ノロエステ連合日伯文化協会会長を18年も務めるなど同地コロニアの発展に尽力した五十嵐二郎さんが1日午後6時過ぎ、糖尿病が悪化して心臓に至り同市のサンタカーザ病院でなくなった。享年80。
 両親は新潟県出身で、二郎さんは第2アリアンサ生まれ。1956年にアラサツーバに移転し、精米所を長年経営する傍ら、アラサツーバ文化協会会長を85、86、89、93年と4期務め、ノロエステ日本語普及会会長も6年間、ノロエステ連合会長も04年まで18年間もやった。
 93年に同市名誉市民章、98年に同市議会名誉表彰、03年には旭日双光章、08年の百年祭ではルーラ大統領から勲章メダルが授与された全伯の功労者150人の一人に選ばれた。
 2日午後4時からは、白石一資同連合会長らの発案で文協葬が行われ、ノロエステ西本願寺の僧侶による読経の中、各地から500人以上が焼香し、市立サウダーデ墓地に葬られた。初七日は7日晩、家族だけで行われた。
 妻・陽子さん(76、両親が熊本、二世)も「若い頃から文協のために尽くしてきた人でした。お葬式にはたくさん来てもらい、本当に幸せな人でした」と語った。四十九日は2月19日の予定、まだ場所は未定。

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