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伯ゲートボールの基盤できた=GB連合=本藤会長が7期で勇退=小賀新会長「伯社会に普及を」

ニッケイ新聞 2011年1月15日付け

 「皆さんと約束した事は一応終えることができた」—。ブラジル・ゲートボール連合の定期総会が13日に宮城県人会館で開かれ、長年会長を務めた本藤利さん(78、長野)が勇退した。7期14年の任期中、施設整備や日本との交流など多方面で尽力した本藤会長。退任あいさつで、「連合のバーゼ(基盤)はできた。後は皆さんでよく話し合って、充実した、楽しく、集まりやすいゲートボールにしてほしい」と言葉を送った。新会長には、7年間副会長として本藤会長を支えた小賀誠二さん(73、岡山)が就任した。

 午前9時から行われた総会には、サンパウロ市・州内はじめパラナ、マ州、リオ、ミナス、ブラジリアなど全国から150人の支部代表が出席。先人への黙祷に続き、昨年度事業・会計報告、今年度事業計画・予算が承認され、その後昨年の2級審判員合格者4人へ本藤会長から認定証が手渡された。
 昨年は連合主管を含む9大会、審判講習などを実施し、3月には副会長の田篭輝生さんがパウリスタ・スポーツ賞を受賞。9月に上海での世界GB選手権に15チーム、3審判員で参加した。会計は収入約25万、支出約20万レ。今年の予算は20万レで、例年の行事に加え、11月には亜国ブエノス・アイレスで南米選手権が開催される予定。
 報告の後、勇退する本藤会長が7期14年の任期を振り返った。
 97年の会長就任後に現在の連合コート敷地を市から借り受け、トラック3千台分の土を入れて整地、移民90周年の98年に落成した。
 さらに02年の20周年を機に、「もう成人なのだから自前の事務所を」と新事務所購入計画を開始。リッファやカラオケなどで資金を集め、09年に現在の場所を購入して念願を果たした。
 任期中の大会、日本の各県との交流大会、08年の百周年でスポーツ団体として唯一日本の外務大臣表彰を受けたことなどを振り返り、「交流の成果を認めてもらい、連合にとって名誉な年だった」と回顧した。
 「話せばきりがない」という本藤さん。「14年の間に、亡くなった人、辞めた人もいるが、その都度皆さんにお世話になり感謝している」と関係者へ謝意を表した。そして「末永くやるためには政府のスポーツとして、政府とつながりをもってやる必要がある」として、次期執行部に対し、これまで何度か浮上したが実現しなかった連盟(フェデラソン)組織化を進めてほしいと期待を述べた。
 続いて本部役員表彰として、会長から長年審判や競技部門、婦人部など連合のため尽力した人たち、現役員ら31人へ記念の楯を贈呈した。
 当日は羽藤ジョージサンパウロ市議も会場を訪れ、会長へ市議会からの感謝状を贈呈。小賀副会長から本藤会長へ感謝状、婦人部の小賀貞子副部長から本藤幸枝同副部長へ花束が贈られた。
 昼食後の役員改選は単一シャッパのため、菅原和司選管委員長が一人ずつ名前を読み上げ、拍手で承認。新役員が舞台に上がり紹介された。
 長年サンパウロ総合大教授を務めた小賀新会長は、歴代会長の名を挙げて「責任を痛感し身の引き締まる思い」と語り、「これからも日本の世界ゲートボール連合とより充実した関係を持つとともに、日系だけでなくブラジル社会へも普及を進めたい」と抱負を述べた。さらに、減少傾向にある会員、競技人口の増加を目標に掲げ、市と連携してゲートボール学校を開く考えも示した。
 総会を終え、本藤さんは「一区切りついてほっとした。これからも側面から支援していきたい」と笑顔で話していた。

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