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リオ大水害=「寝てたら寝台まで水が」=音信不通のNフリブルゴ=鹿田理事長「安否確認できない」

ニッケイ新聞 2011年1月15日付け

 【既報関連】「ノヴァ・フリブルゴに通じる道は二つとも土砂崩れで閉鎖されている。あそこにはヘリコプターでしか入れない。電話もつながらないし、町の中の様子が全然分からない。情報が入っていないだけで日系人の被害があるかもしれない」。14日午前、ニッケイ新聞の電話取材に対し、リオ州日伯文化体育連盟(傘下22団体)の鹿田明義理事長は切迫した声をあげた。リオ州山間部だけで500人以上の死者を出した戦後最大規模のリオ大水害に関して、その後の様子を聞いた。
 11日深夜から翌早朝にかけて現地では豪雨に見舞われた。12日昼、鹿田理事長はさっそく同市の知人の携帯電話にかけ、その時はつながった。「寝ていたら急に寝台まで水が上がってきて驚いた、と言っていました。その時は、日系人の怪我人はないと言っていましたが・・・」と鹿田理事長は、その時はほっとした。
 それもつかの間、すぐに電話が不通に陥り、14日現在でも携帯電話すらつながらない状態が続く。もちろんニッケイ新聞からも、現地会長宅など数カ所に引き続きかけているが「プープープー」という通話中の時のような音がするのみ。
 リオ総領事館でも同様で、12日には一時的に電話が通じて「まだ町中水浸しだが人的被害はない」という情報を最後に音信は途絶えたまま。ノヴァ・フリブルゴの邦人は25人。警察に「日本人の犠牲者がいれば連絡を」と申し入れており、今のところ何の連絡もない状態だという。
 「会館が流されたかも」と心配していたテレゾポリス日系クラブでは、蔀(しとみ)ヨランダさん(63、サンパウロ市イタケーラ生まれ、二世)はいてもたっても居られずに13日午後、現場まで見に行った。「途中の道があちこちで崖崩れ、路面も泥にまみれて酷いことになっていて驚いた」と心臓をドキドキさせながら会館まで何とかたどり着くと、無事だった。
 「ほっとしました。お手洗いが会館より一段低い川面と同じ高さにあったので水をかぶって汚くなっていました。でも掃除すれば使えます。ただし、2000年に会館のイナウグラソンした時に総領事が植樹してくれた桜の木が川の中に倒れていました」という。
 「来週、会館で新年会をやる予定です。あれならなんとか大丈夫そう」と嬉しそうな声が受話器から響いた。ただし、「この辺の葉野菜の畑はだいぶ水を被っている。かなり被害があるのではないでしょうか」とも。
 ペトロポリスの育苗工場はやはり跡形もなく流されているが、地元関係者によれば「家族、従業員とも問題なかった」ことが確認されたという。
 現地では断続的に雨が降り続いており、ノヴァ・フリブルゴの日系人の消息はもちろん、リオ山間部ではまだ息が抜けないようだ。

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