ホーム | 日系社会ニュース | 懐旧と復活のモジアナ線=第36回県連故郷巡り=第5回=ジャボチカバル=農大で甦った日系団体=転入した二世が起爆剤に

懐旧と復活のモジアナ線=第36回県連故郷巡り=第5回=ジャボチカバル=農大で甦った日系団体=転入した二世が起爆剤に

ニッケイ新聞 2011年4月26日付け

 「我々は小さな会だが、とても団結が強い」。ジャボチカバル日伯協会(西村哲雄会長)の青年会の万年会長、アリキ・ジョージさんはそう強調する。農大を見学し終わった一行は、カンペストレ(スポーツ施設)の新会館に戻り、地元のみなさんによる歓迎昼食会に臨んだ。
 司会役を任じたアリキさんは日本語こそできないが、「この辺の地方部ではあちこちで日系団体が活動を停止しているが、うちはどんどん人数が増えている。少なくともあと20〜30年は存続することは間違いない」などとマイクを通して語り掛け、日系人魂を前面に出した勢いのあるしゃべりで、その場をどんどんリードしていった。
 地元には約250日系家族が住んでいると見られ、うち200家族が会員になっているとし、高い加入率を誇る。一世がいる世帯はごくわずかで、大半が二世世帯だという。
 恒例行事としては新年会、カラオケ大会、50年以上続く伝統の運動会、忘年会がある。その他、市制記念日には特別に日本食祭りを開催し、昼80人、夜120人の体制でスキヤキ、ヤキソバ、寿司、サシミなどを提供して市民から喜ばれているという。
 同地在住の岡田健治さん(72、二世)は、同市生まれの生え抜きだ。父は19歳で渡伯し、16年前に90歳で亡くなったというので1924年着だ。モジアナ沿線で3年ほどコロノをして以来、ずっとジャポチカバル市というので同市でも最も古い家系の一人だ。「昔は一世ばかりだったが、他所から転入してきた今の二世役員らが15年ほど前から中心になった」と証言する。
 歴史を紐解くと同地日本人会が創立したのは1954年、56年にはセントロの会館が建設され、そこで日本語学校も作られて75年ごろまで経営されていた。郊外にあるカンペストレは創立30周年の84年に二世らによって土地が取得された。40周年の94年8月にその入り口に立派な鳥居のモニュメントが立てられ、一行が今歓迎されている新会館が建設された。当時の日伯協会の会長がアリキさん、第一副会長が西村さんだった。08年には立派な百周年記念碑が新会館入り口に建立された。
 同地文協の若手が入れ替わり立ち代り日本舞踊やカラオケを披露して懸命に歓迎会を盛り上げようとする様子を見ながら故郷巡り参加者の一人、浦口武さん(うらぐち・たけし、78、長崎)は「婦人部の作ってくれた食べ物が美味しかった。一生懸命若い人がやっておられる様子が素晴らしい」と微笑んだ。
 また参加者の福永幸枝さん(ふくなが・ゆきえ、76、鹿児島)は「どこの会でも精一杯歓迎してくれて嬉しい。老人に気を配ってくれている」との感想をのべた。同じテーブルの清田美千代さん(きよた・みちよ、88、奈良)も「若い人が地元文協を盛り上げようとしている様子が伺えて、とても頼もしい感じがした」と語った。(つづく、深沢正雪記者)

写真=理事のみなさん。松尾さん(農大)、森瀬礼子副会長、アリキ青年会会長(農大)、古賀オズワルド青年会副会長、吉村故郷巡り団長、菅原アツシさん(農大)(上)/岡田健治さん


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