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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年5月25日付け

 東日本大震災の災害報道が落ち着き、様々な人間ドラマを取り上げるメディア自体が、将来に語り継がれるような歴史を残している。社屋が被害を受けた宮城県・石巻日日新聞社の報道魂だ▼「ペンと紙があるなら壁新聞で」。報道部部長の武内宏之さん(53)らが手書きの新聞を作り、輪転機が回った7日後まで避難所に張り続けた。被災民は食い入るように読んだという。米ワシントンにある報道博物館はそれらの新聞を永久保存することに決めた▼原爆投下後の広島。本紙の提携紙である中国新聞は、朝日新聞社による代行印刷で9日付けから発行を始めた。被爆翌日7日付けの新聞を出せなかったことが、地元紙のプライドを傷つけていたのか。〃幻の新聞〃を被爆50年後の95年に同紙労働組合が発行している▼『ブラジル日本移民百年史』(第三巻・生活と文化編1)の「日系メディア史」を読んでいて目が止まった。バウルーでサンパウロ州新報を発行した香山六郎は、終戦の報を聞いたとき、「戦後の(日本語新聞)発行を断念」し、20年分の同紙を煙にしたという。しかし発行は続く。当時のドラマは同書に詳しい。本紙がその命脈を保っていることはご存知の通り▼頁をめくる。戦後初の日本語書店だったリベルダーデ広場前「太陽堂」の開店は49年。社長の藤田芳郎さんがアメリカで発行されていた「コロラド・タイムス」を発売するために創立したことを知った。これもまた新聞発行への思いと見たい▼石巻日日新聞は来年創刊100周年。武内さんが若い記者に語るという「できることを一生懸命やろう」という言葉が沁みた。(剛)

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