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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年9月16日付け

 「手車に野菜果物朝市で満たして思う祖国の汚染地」。9・11テロの10周年当日に行なわれた全伯短歌大会で、大震災に苦しむ日本を想い「フェイラ/朝市」という席題を通して、何気ない日常生活の平和な気持ちを詠ってほしいとお願いしたら、こんな作品が出てきた。汚染地とは、福島原発事故の放射能によるそれだろう。短歌としては直接的すぎるだろうが、新聞的にはピッタリくる▼まるでコラム子の気持ちをそのまま詠んでくれたと嬉しくなったのは「込みあいて食べるパステス肌寒き朝のフェイラに満ち足りており」だ。昼には値引きすると知っていても、なぜか肌寒い朝のフェイラが気持ちよい。そこでパステスを食べている時の至福の気持ちが良く表現されている。震災の後だからこそ余計に味わい深い▼全伯短歌大会の作品では「ママは抱きばあちゃん背負い子守歌バイリンガルの若芽伸びゆく」(神林義明)における作者の着眼点に驚かされた。二世であるママは前に抱いてポ語で子守歌を歌い、ばあちゃんは日本式に背負って日本語で歌い、孫は自然にバイリンガルに成長していく。移民ならではの言語生活を視覚表現鮮やかに描いている▼若い頃の憧れの人に偶然出会った気持ちを詠んだ「告げ得ざる熱きおもいも歳月が枯淡となりて君にまみゆる」(山元治彦)の味わいにも感服した。「抱きしめて旅立つ孫に教えなむ二つの祖国背負いて生きよと」(小濃芳子)は日本留学する孫に託した思いを詠んだ物だろうか。海産物に乏しいかつての植民地の生活風景を詠った「養殖の貝だと母を偽りし豚のしっぽの酢味噌はうまし」(岡崎町子)も秀逸だ。(深)

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