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追悼メッセージ特集=〝永遠のデプタード〟=上野アントニオ義雄氏

ニッケイ新聞 2011年10月8日付け

上野氏は「日系のペレー」=西森弘志 連邦下院議員

 日系社会、ブラジル社会の偉大な尽力者である恩師、上野アントニオ氏の御逝去の悲報に接し、心よりお悔みを申し上げます。御生前のお姿を偲び、ここに哀悼の意を表します。
 32年間の連邦下院議員、州議員1期、市会議員2期の44年間もの長き間、ブラジル政界に生涯を捧げられた上野氏は、北パラナの出身者としてパラナ文化運動連盟(リーガ)の創立に尽力するなど、パラナ州日系社会の結束にも力を尽くされたほか、ブラジル社の発展にも大きな貢献を行われた方でありました。
 日系社会の中からこのような素晴らしい人材が誕生するのは大変難しいことであると思われます。上野氏の存在はまさに「日系のペレー」のようであったと思い出されます。
 上野氏は、生涯「我慢」の2文字につきる人でありました。苦労の絶えない政治家としての立場から、人から悪く言われる事も多くありましたが、そういう批判にもじっと耐えていた姿が思い出されます。辛抱強く、根気のある方でありました。私が政治の道を歩む上で、政治家としての心構えについて説いていただいた数々の助言の中でも、恩師の経験を踏まえた「我慢してがんばれ」の言葉は深く心に残っています。
 上野氏が1970年に実現したパラナ州と兵庫県の姉妹州県提携は40年を迎え、その間にもマリンガ市と加古川市、ロンドリーナ市と西宮市、クリチーバ市と姫路市、パラナグア市と淡路市など、パラナ州と兵庫県の各都市との提携が進められ、両州県の深い交流の基盤が築かれました。
 同じく上野氏が始めたパラナ州の日伯経済友好使節団は長きに渡って37回継続され、38回目を迎える今年からは誠に光栄なことながら、私の方で引き継がせていただくことになりました。同氏の後を引き継いでから初めての使節団は今月の半ばにも出発を控えており、現在入念な準備を進めている段階であります。
 また、同氏が大きなビジョンを持って設立し、会員企業の呼びかけに力を注いできたパラナ日伯商工会議所は現在100社以上の会員企業を抱える組織へと成長しており、今後の更なる発展に向けて我々も尽力していきたい次第です。
 生前最後に上野氏から伝えられたことは、「どうか日系社会を大事にしてほしい」、そして、今までにも何度となく繰り返し聞かされてきたように「日本とブラジルの政治をつなぐ伯日議員連盟を大切にしてほしい」ということでした。
 故恩師の遺志を継ぎ、後任として日系社会の代表、そしてブラジル社会で政治界の代表として今後とも誠実に取り組んでいく心構えであります。
 最後になりましたが、改めて上野氏の御冥福をお祈り申し上げます。

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