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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年11月25日付け

 高拓生80周年で同会の佐藤ヴァルジル会長は「政府が正式謝罪をしたことで高拓生の汚名は拭われた。今日ようやく、逝去した我々の父母にこう宣言することができる。我々子弟は義務を果たし、あなた方の名誉は回復された。平和の内にお休み下さい」と演説し、聴衆の涙を絞った▼高拓生の歴史をひもとくと、1917年に東京に設立された私塾「国士舘」(後の国士舘大学)にたどり着く。上塚司らが創立メンバーとなり、吉田松陰の精神を範とし、文武両道を掲げて「国家社会に貢献する智力と胆力を備えた人材『国士』を養成すること」を旨とした学び舎だ▼その学内に上塚が校長となり、アマゾンに入植する人材育成を目的に30年に設立したのが高等拓殖学校だった。ところが国士舘自体は政府の軍国主義政策に傾き、満蒙開拓を目指す人材育成を目的に「鏡泊学園」を別に設置した。大陸侵攻ではなく、平和的な移住手段にこだわった上塚は、ここで袂を分かち「日本高等拓殖学校」として独立した▼その後、「鏡泊学園」は軍事教練を拡大し、国の発展を支えるはずの尊い学生を戦地に赴かせる結果となった。片やアマゾンでも資産凍結・強制収容。どちらが幸せだったか・・・▼国士舘の建学の志にして、明治維新の精神的な指導者といわれる吉田松陰の辞世の句「親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん」が意味するのは「子供が親を思う心よりも、親が子供を思う心の方が深い」だが、高拓二世が苦労した親を思う様を言い表すには「父の恩はアンデスより高く、母の徳はアマゾン川より深し」の方が適当か。(深)

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