ホーム | 連載 | 2011年 | ~OBからの一筆啓上~ | 〜OBからの一筆啓上〜継承日本語、グァタパラにて=神田大民(元パ、日毎、ニッケイ新聞記者)

〜OBからの一筆啓上〜継承日本語、グァタパラにて=神田大民(元パ、日毎、ニッケイ新聞記者)

ニッケイ新聞 2012年2月29日付け

 グァタパラ移住地の入り口に「グァタパラ移住地にようこそ」と日本語で目立つように大書された小塔が立っている。日本人の訪問者はこれを見て、まずほっとするのではないか。
 開設後ほぼ半世紀を経た同移住地、毎年欠かさず入植祭を催し、存在感をアピールしている。祭りの意思伝達の軸は日本語である。
 市営墓地の墓石に刻まれている文字の大半が日本語、農産物展示会の出品物の説明が日本語、祝賀演芸会(学芸会)における児童生徒の発表、応援の歓声も日本語、そして、特設食堂の婦人部、青年部の接待も100%…、というように日本語の根付きぶりは徹底している。
 これらの日本語は、日本人が日常使っているそれとほとんど差異がない。よくいわれる継承日本語である。
 サンパウロ日本人学校の生徒たちは、毎年、移住地の日本語学校生徒と交流会を実施しているが、相手を選んだわけが、この日本語があるから、とわかる。安心感があるから、と言い換えてもいいだろう。
 移住地の日本語の「源」は、1960年代の半ばまで渡航してきた家族移住者たちである。ポ語がままならず、日常、特に家庭では日本語だけで通した。ブラジル生まれの子や孫たちは、それを解ろう、と慣れたのである。
 公立校に通いながら、日本語の読み書きは日本語学校で習得していった。家で行う会話を裏づけする形で身につけたのであろう。付け焼刃でないのである。少し閉ざされ気味の環境も影響したかもしれない。
 先年、日本から来た日本語の専門家が言った。「継承日本語を確かなものにするためには、家庭では心を鬼にしてでも、ポ語の問いかけにポ語で答えてはいけない」。
 日本語教育が「外国語として」が主流になっていく趨勢に逆らうかのように、「継承日本語こそ真の日本語。残していくべきだ」と主張していたのである。わがコロニアでもつい最近までそう言われていた。
 ただ、「ポ語の話しかけにポ語で答えない」のは、どこか自然体でない。教育であろうけれど、ほころびが生じそうだ。
 グァタパラ移住地では将来も継承日本語が続いていくのか。現時点、つまり移住者の孫の世代が、祖父母や父母の日本語を日常、どう受け継いでいくかにかかっている。「日常、自然に」でなければ、末広がりにはならない。
 コロニア文芸の中で愛好者が最多であった俳句の作句者が激減しているという。最盛期には、1000人を超す勢いがあったのに、現在は300人程度。文協が全伯大会を開催しても応募者は300人に届かない。
 俳句の例は「余情の文芸。異質な日本語の世界」という特殊性があるから、やむなしといえるが、継承日本語は背景が違う。日常使われさえすれば、と思う。いうは易し、それが至難だ。



image_print