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支援の継続を模索=お悔やみとお見舞い=ブラジル宮城県人会会長 中沢宏一

ニッケイ新聞 2012年3月10日付け

 東日本大震災から1年が過ぎました。犠牲者と被災者の皆様へ心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。私は宮城県本吉郡唐桑町(現気仙沼市)出身で北側は岩手県陸前高田市、同郡の南は南三陸町があります。三陸はリアス式海岸ですのでこの地方の旧市街地は少し歩くと避難できる山手があります。唐桑町は漁業の町で船主網元の家、神社、仏閣は高台にあり、この度の津波もそこまでは届きませんでした。
 「森は海の恋人」で有名な畠山重篤氏は中学の同級生で、彼の家も高台にあり松の大木と眼下に海が広がる素晴らしい景色の所です。しかし、今回の津波は海抜25メートルの家の近くまで来たし沢づたいに40メートル近く登ったそうです。
 さて、三陸には昭和35年(1960年)年のチリ地震津波、昭和8年(1933年)、明治29年(1896年)と約100年間に4度も襲われました。チリ地震津波の時は高校1年で船で通学しましたが、津波の速度がゆるやかな珍しい津波でしたので、三陸を震源とする津波は約80年ぶりでした。
 その間に戦後高度成長期には経済を優先し、津波がまともに来襲する平坦な土地に宅地、水産加工場を建設し、湾の入り口に燃料タンクを並べ、この度はそれが流れ引火し湾内が火の海となりました。今一周忌で犠牲者への追悼の儀式が行われようとしていますが、この度の災害は津波を忘れて危険地帯に進出した人災の率が高いでしょう。
 従ってこれからの復興は地震津波に強い地域の構築であります。
 第一に人命を守るための避難所と避難道の設定です。特に平坦地には1キロ毎にその地域住民の避難所となる築城を提案したいと思います。
 お城には4階以上に高齢者施設、行政、レクレーシヨンの施設と備蓄室等を置き、学校保育所を含めた総合的な施設で人命を守ります。そこから四方に大通りを作り、避難所をつなぎ、お城を拠点として地域作りをします。そして、今問題になっているまだ5%しか処理が進んでいない瓦礫は地盤沈下の埋め立て、道路、海岸林植林に使用します。何せ目の前の海は世界三大漁場で海産資源はそこにあるのですから、市場と加工施設を復旧させ経済の復興を全力を挙げて速やかに実行します。
 もう一つ提案があります。
 危険区域の人々は復興財源を確保のため個人と行政とで津波保険に加入し、平時はその財源を地域振興に使います。
 ところで昨年震災の年にリベルダーデ区に桜を街路樹として初めて植える許可を市役所からもらい、震災復興を願うシンボルとして植樹しております。お蔭様で順調に育っております。また、ブラジルニッポン移住者協会は同じ目的で植林計画を発表しました。
 日本では仙台空港のある名取市から、防風防砂防潮のための海岸林造成用の松の植林が始まります。先月世界5地域から選ばれるフオレストヒーローに選出された同級生の畠山氏からは、母堂を亡くし施設は壊滅的にやられたものの水源地の山に広葉樹の植林を継続する、という力強い便りをもらっております。両国で樹木を育てイベントを行い、この大震災が風化し忘れ去られないよう努力して行き、支援の継続を模索して行きたいと思います。
 在日日系人は震災直後よりボランティアとして現地で活躍しております。今後は復興事業へ参加することが期待されます。
 被災地が地震津波に強い理想的なモデル地域を建設し、海外から賞讃される形で復興されるよう衷心より願っております。

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