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米国シアトル=日本街を撮った写真展=戦前の往時伝える数々

ニッケイ新聞 2012年6月9日付け

 【北米報知5月16日】第2次世界大戦前、シアトル日本街にあったタカノ写真館で撮影された写真の一部が、インターナショナル・ディストリクトのウイングルーク博物館(719 S. King St., Seattle) に展示されている。
 1920年に日本街にオープンしたタカノ写真館は、初代オーナーの日本帰国を受け、28年にヘンリー三宅さんと妻のユキコ・ヒラタさんが引き継いだ。英語に堪能で、親しみやすい人柄から、日本街でも人気の写真館だったという。
 今と違い写真が珍しかった時代、大切な仲間や家族とのつながりを記録し、形に残していくのは、写真館の大切な役割だった。写真は大切に飾られ、ときに日本にいる親族に送られたという。タカノ写真館のレンズを通し、当時の日系人コミュニティーの様子がうかがえる。
 写真館で撮られたものは結婚写真や家族写真が多い。日本街の自宅や店、ベルビューやグリーンレイクといった郊外の農場で撮られたものもあり、20年代から30年代に米国西海岸で有数の規模を誇ったシアトルの日系社会の多様さと大きさをあらためて感じる。
 学校や教会で撮られた集合写真も多い。2千人近い子どもたちが放課後通っていたという日本語学校や、1899年に設立された日本人バプテスト教会のスポーツクラブ、ワシントン大学の日本人クラブや芙蓉会といった日系グループの集合写真には、子どもたちや若者の活気ある様子が写る。写真のそばには当時を振り返る関係者のコメントがあり、かつての日本街の様子を今に伝えている。
 日米開戦による強制立ち退きの際、タカノ写真館は閉館を余儀なくされた。そのため、収容所での様子や、戦後シアトルに戻った日系社会の様子を伝える写真は少ない。ミネドカ収容所の写真も展示されているが、以前の写真に比べて人々の表情や雰囲気も硬い。戦争が終わり収容所が閉鎖された後、日本街の変わった姿を見た人々は、どんな気持ちを抱いたのだろうか。
 今回の展示にあたり、ウイングルーク博物館は一昨年から展示写真にかんする情報収集を行い、二世、三世ら100人以上が協力したという。会場にはファイルが置かれ、来場者も身元確認に協力できる。懐かしい写真の中に、親族や友人、自分自身を見つけることで当時の思い出が甦る。若い世代も含めて、写真だけで語ることのできない日系人の歩みを含め、話し合う良い機会になるだろう。
 展示は9月16日まで。ウイングルーク博物館のオンラインデータベース(http://db.wingluke.org)では400枚すべての写真を閲覧できる。詳しくはwww.wingluke.org まで。(記事・写真=福岡玲子)

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