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11月で109歳の上地マツさん=コロニア史上最高齢か=心の平安が長寿の秘訣=先祖は源為朝との話も

ブラジル日本移民104周年

ニッケイ新聞 2012年6月23日付け

 聖市在住、沖縄県名護市出身の上地マツさんは、この11月で109歳を迎える。1年ほど前から体の自由がきかず一日の大半をベッドで過ごすが、新聞を読んだり昔の写真を繰って子どもたちに昔話を聞かせたりと、精神活動は盛んだ。今も名護市に住む妹・松川ヨシさんは100歳、聖市に住む弟・与那嶺栄正さんも94歳と、兄弟姉妹ともに長寿。マツさんは「人間いつ死ぬかなんて、心配する必要はない。神じゃないと分からんから、天に任せたらええ」との境地を語る。子ども6人(内2人逝去)、孫16人、曾孫18人、玄孫1人。カーザ・ベルデの自宅で息子と孫夫婦と共に暮らしているマツさんに、長寿の秘訣を聞いてみた。

 97歳までゲートボール

 孫の節子さん(50、三世)が邦字新聞を手渡すと、マツさんはめがねもかけずにゆっくりと見出しの字を読み上げた。「昔から新聞が好きでよく読んでいたし、6年程前までは手紙も書いていた」と節子さん。美智子様のご還暦記念本『皇后陛下 美智子さま』(PHP研究所、1994年発行)もお気に入りの1冊だ。
 昔の思い出も大切な宝物。長年ノートに知人や友人の逝去日を記しており、日本に住んでいた頃の古い写真も丁寧に保管している。アルバムを繰りながら「これが妹で、これが進吉(息子)」「これは私が通っていた尋常小学校」と説明する。
 そんな祖母の様子を眺めながら、節子さんは「よく覚えててすごいでしょ」と目を見張る。「ばっちゃん(マツさん)は80歳で、沖縄県人会でゲートボールを始めて97歳まで続けた。会場にも、一人でバスに乗って通っていた」。
 週に3、4回は練習に行き、週末に頻繁にあった大会にも出場していた。サッカー観戦も大好きで、ペレとジッコ選手の大ファン。試合を見る時はいつも大興奮だったという。
 ゲートボール場で撮った95歳の写真を見ると、90代とは思えない程すらりと姿勢がいい。「座るときは背筋をぴんと伸ばしていたし、いつもきちんとした身なりを心がけていた」。カメラを向けるとマツさんは「今はちゃんとした格好じゃないから、恥ずかしい」とはにかんだ。

 「肉は殆ど食べない」

 上地家の食事は野菜が中心。それも長寿の秘訣のようだ。節子さんは「肉は殆ど食べないし、味付けも薄くしている。肉があっても先ず箸をつけるのは野菜。だから家族も皆健康よ」と語る。コレステロール値も血圧も正常で「治すところがない」と医者も驚くという。
 「でも一番の長生きの秘訣は心の持ちようだと思う。ばっちゃんは小さなことを一々大げさにしたりしないし、カッカしたりもしない。いつも穏やか」。本門佛立宗からの表彰状も、壁に数枚飾られている。70歳頃から聖市の日教寺やプレジデンテ・プルデンテの日扇寺に度々通っていた。心の安定と信仰は関係が深いのかもしれない。
 また人種や性別の差異を理由に固定観念や先入観を持たず、「私の甥っ子に『イヤリング付けたいくらい可愛いね』なんて言うこともある」と可笑しそうに笑う。
 その昔、日本と沖縄では出自の差別があって結婚できなかった時代があったと、よく子どもに話して聞かせていたという。そんな過去の歴史が反面教師となって、マツさんの柔軟性を培ったのかもしれない。
 節子さんは「なんでもきちんとするから人からも信頼される。私らに倫理や忍耐をおしえてくれたし、まだまだこれからも学ぶことが一杯ある。私が見習いたいと思う見本」と言葉の端々に尊敬をにじませながら語った。

 家族に支えられ

 「13歳の時に母が亡くなったから、私を育ててくれたのはばっちゃん」と言う節子さん。どこに行くにもマツさんの後をついて行く程のおばあちゃん子だった。「だから自然と私が一緒に住むことになり、介護をしている」。
 上地家では一人で歩けなくなったマツさんを決して一人にしない。節子さんと、近所に住む娘の田中朝子さんが交替で介護をしている。自宅の床は段差をなくし、転ばないよう皆で注意を払う。
 そんな献身的な介護にマツさんは「子どもたちが優しくしてくれるけど、気の毒で」と申し訳なさそうに言う。子どもや孫の話になると少し饒舌になり、「100歳を過ぎたらもう死んだらええと思うけど、死なれんから、もう神に任せている」と繰り返す。
 「でも時々死んだらどうなるんだろうと考える。子どもたちがどうなるかも心配で」とつぶやくと、節子さんは「109歳になっても子どもの心配して」と大笑いをした。

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