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第2回=「若者を呼び戻したい」=日系社会活性化目指し

ニッケイ新聞 2012年7月11日付け

 若者を巻き込み短期間に日本全国、海外へと広まっていったYOSAKOI。日系社会の縮小に歯止めをかけたいと願っていた飯島秀昭氏は、YOSAKOIのビデオを手にし、「これなら日系社会に若者を呼び戻せるかもしれない。素晴らしい素材だ」と確信した。
 伯国ナンバー2のチェーン・ヘアサロン「SOHO(蒼鳳)」を立ち上げたビジネスマンであり、「ブラジルを美しくする会」の創始者でもある。行動の原点にあるのは日伯両社会への貢献。京セラの稲盛和夫さんによる盛和塾の熱心な塾生で、稲盛哲学を行動の下敷きとしている。
 最も後世に伝えたいのは、無形だが価値ある日本的精神。農耕民族である日本人は自然との調和や団体精神を重んじ、作物を育てるように人材を養成し、先を見据えて社 会を築いていく。「これからは狩猟民族の思想じゃやっていけない。日本の精神文化を取り入れれば、ブラジルはよくなるはず」と信じる。
 ビデオは友人だった「札幌を美しくする会」の長沼昭夫会長が、当時探していた「稚内発学び座〜ソーランの歌が聞える」(斎藤耕一監督、1998年)のビデオと共にくれたもの。この映画は構内暴力で荒れた稚内南中学校学校が、現代風にアレンジしたソーラン節を生徒に躍らせ立ち直ったという実話で、一般的に「南中ソーラン」と呼ばれている。その教育的効果や若者への受け入れられやすさが評価され、日本全国、特に他校の体育祭や文化祭で踊られている。同校の生徒らは札幌のYOSAKOI祭りに参加したこともあった。
 盛和塾の合同定例会でビデオを仲間に見せた所、大きな反響があった。そこでSOHOのカットコンクールの余興として、試験的に従業員に南中ソーランを躍らせると、やはり観客・踊り手共に好反応が返ってきた。それに自信を得、大会開催を決意した。
 「YOSAKOIを踊っているチームがあると聞いていた。だからきっと誰かがやっているはず」との楽観的な前提の下、大会日程を2003年7月20日、会場を文協講堂と決め本紙に案内を出した。するとSOHOを始め、北海道協会青年部ヒグマ(現「一心」)、海藤バンド、平成学院、カストロ連、弓場など12団体から申し込みがあった。
 当時の実行委員会のメンバーは飯島氏本人と、事務的な手続きをサポートした盛和塾の高山直巳さんの2人だけ。呼びかけてもスポンサー得られなかったが、?覚悟〟は決めていた。入場料は無料とし、福祉施設に提供する保存食1キロの寄付を募った。「健康で毎日生きている人が、恵まれない人を助けるのは当然。?お互い様〟という考えの生きた例を見せた」。全ては日系、ブラジル社会のためだ。(つづく、児島阿佐美)

写真=ブラジルを美しくする会の飯島氏(左)/集められた保存食

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