ホーム | 日系社会ニュース | 小禄田原 字人会=95周年に600人集まる=「字」から4千人が渡伯=日本最多の移住集中区か=「イヤササ、ハイヤー!」

小禄田原 字人会=95周年に600人集まる=「字」から4千人が渡伯=日本最多の移住集中区か=「イヤササ、ハイヤー!」

ニッケイ新聞 2012年8月23日付け

 通常、移住周年式典は県人会単位であり、移民大県沖縄においてすらも市町村単位だが、故郷からの使節団25人に加えて出席者600人も集める「字」がある。それは沖縄県那覇市字小禄(おろく)田原(たばる)で、その出身者と子孫が作る同字人会が主催した95周年記念法要と式典が19日午後、サンパウロ市の客家センターで盛大に開催された。今回から特別にブラジル側が費用を負担して故郷から4人を呼ぶ招待人制度も開始され、5年後の百周年に向けて大いに絆を深めた。

 字小禄は那覇市内の11平方キロの地区で、そこからなんと4千人が渡伯、1700人がハワイに渡るなど、通常なら県まるごとに匹敵する移住者が出ている。単純計算すれば日本移民25万人の50人に一人は小禄出身者であり、日本最多の移住集中地区といえそうだ。百周年協会の上原幸啓理事長、県連の与儀昭雄元会長、化粧品店経営で有名な上原家なども同地の出身者や子孫だ。
 午後2時からの式典では照屋マリオ勇祝典委員長が「ウルクンチュ(小禄人)、タバルンチュ(田原人)の先駆者への恩を忘れずにユイマール(団結)の精神をもって郷土との交流をさらに深めましょう」とポ語で呼びかけた。さらに上原テリオ実行委員長も先人の苦闘に思いを馳せ、「イッペーニヘーデビル(大変感謝する)」と締めくくった。
 郷土団体を代表し、字小禄財産管理運営会の高良忠清理事長は「大戦で焦土と化した小禄田原は、戦後みなさんから送られた支援のおかげで立直った。深く感謝もうしあげ、ブラジルでの子孫発展に敬意を表する。世界のウルクンチュが手を携えて、共に発展していくことを祈念する」とあいさつした。
 続いて同運営会会長代理として上原勝男さんがあいさつ文を読上げ、高良正幸那覇市議も翁長雄志(おながたけし)那覇市長の祝辞を「ハイサイ、グスーヨーチューウガナビラ(こんにちは、みなさんに会えてよかった)」と勢いよく代読し、昨年那覇市で開催された世界ウチナーンチュ大会では過去最高の計7363人の子孫が訪れたことを喜び、「あの時の感動を昨日のことのように覚えている」と語り、「那覇市ではチムグクル(深い思いやり)を未来へつなげるためにウチナーグチ(沖縄方言)の積極的な使用を奨励している」などとあいさつした。
 県人会の与那嶺真次会長、神谷牛太郎サンパウロ市議、西本エリオ州議、飯星ワルテル下議の祝辞に続き、招待人4人を代表して高良由弘さんが「みなさんの活躍を沖縄に伝えたい」との抱負を語り、記念品を交換した。90歳以上の高齢者約25人、二世最高齢の高良アントニオさん(91)に記念品を送ると「百周年が待ち遠しい」との謝辞を返した。
 「イヤササ、ハイヤー!」のかけ声とともに鏡割りが、「ビバ! カンパイ! カリー!」との発声で盛大な乾杯が行われ、賑やかな芸能祭に突入し、夜7時ごろまでゆっくりと郷土の芸能を楽しんだ。
 出席者のサンパウロ市在住の高良幸一さん(76、小禄)は「最高の式典だった。これだけの式典ができる字人会はほかにないのでは」と胸を張った。
 5回目の来伯という高良忠清理事長によれば、「那覇市中心部に近い立地で、戦前から商売っけのある気風が強く、海外熱が高かった。すぐそばに那覇空港があったので沖縄戦で激戦地になり、戦後ブラジルから呼び寄せてもらってたくさん海を渡った。私も17人の従兄弟がこちらにいる」と移民が多い理由を説明した。

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