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寄稿=清谷益次さんに捧ぐ=サンパウロ市 安良田(あらた)済(すむ)=(下)=「40数年という時間はなんだったのか」

ニッケイ新聞 2012年10月30日付け

 心の奥のほうでいつもふつふつしている時計事件にわずらされながら過ごすある日、思わぬ幸運がやってきた。それは、ブラジル広島県人会は広島県庁に出頭しなければならない用事が生じた。生い憎く正副会長共に旅行不可能の事情にあるので、清谷益次が代理をつとめることになった。
 故郷の姉に、近日訪日することになった事情を伝える。姉は益次の旧友たちに、益次の訪日を伝える。旧友たちは、益次を歓迎するために華々しい同窓会を開くことを決め準備にかかる。
 用意にかかった、と姉は告げてくる。益次は思った。ウソの告白をあらためて濡れ衣を晴らすのはこの機会しかない。皆の前で濡れ衣を晴らしたいと計画を練ってきた。
 到着すると、いったんホテルに休養し、時間に会場に入場する。文字通り万雷の拍手を受ける。司会者の指揮により、挨拶は次々と進行する。皆巧妙なジョークを加え、参加者全部の哄笑爆笑を誘うので、会場のふん囲気は盛り上がるばかりである。益次の挨拶の順番が近づいてくる。心待ちに待っている益次はふと思った。この歓喜沸き立つ最中に、時計事件を持ち出すのは会場の皆さんに頭から冷水をぶっかけるのと等しいのではないか、と自問する。そして最後の最後で時計事件はのみこんだ。
 翌朝ホテルで寝醒めた益次は、旧友の一人に電話をかけお礼をのべたのち、時計事件を持ち出し、皆に聞いてもらうつもりだった、と話をする。きいた友人は「何をバカなことを。そんなこと記憶している者は一人もいないよ。だいいち無実の罪じゃないか。たとえ事実であっても、10歳の子供がしたことをとやかく言う者はないぞ。忘れることだ。忘れてしまえ!」と言う。
 他の友人4、5人に同じことを電話すると、皆は同じような返事をする。益次は茫然となる。苦悩してきた40数年という時間はいったい何だったのだろう。
 しかし、それが清谷益次という人間性の本質であったと言える。

造語「子供移民」とは

 コロニアの移民社会に「二世」と「準二世」という語がある。二世については説明を必要としないが、「準二世」という語は少しあいまいなところがある。準は「ほぼ同じ」「…を継続する」などの意味をもっている。年齢的には0歳から15、6歳までが通念であるようである。
 ただし、同じ準二世と言っても、上限の16歳と下限の0歳とでは断層が非常に大きい。ということは、若年ほど生活環境に順応し易いか否かに落差感が現れる。16歳以下0歳までの子供たちの落差感を緩和するには、16、10、5とできるだけ段階層を多くする必要があろう。
 しかしそれは段差が生じるだけで、何等の利害をも、もたらさない。ものごとをなるべく簡易にするために10歳を区切りとし2分するほうが整理し易いのである。清谷さんはそんな面倒なことを考えなかったであろう。10歳の自分を試験台において結論を出したものと思われる。己の体験から導いたとしても結果が正しければよいのではないか。
 清谷さんは移民に関するエッセイを新聞に書いたとき、その造語を初めて使用した。その後も1、2回紙上に使用した。すると、幸福な反響をみることが出来た。
 パラナ州サンタマリアーナ市在住の(当時)奥山幸太郎さんが紙上投書欄に発表した文章の中に「自分も清谷益次氏の言う子供移民である…」と書いた。造語者以外でこの言葉を使用した第1号である。つづいて2、3の投書家も使用したので、市民権を獲得することになった。
 この造語に絡んで注目すべきことが一つある。それは子供移民その者が成長した後でも、「子供移民であった」ことを誇りにしていることである。
 「なんだ。子供と移民という二つの言葉をつないだだけではないか」と言ってはいけない。子供の将来に目を注ぐということは、子供を愛していることである。移民の共同体の一員である社会人に成長して行く子供たちを思うことは、コロニア社会を愛することである。そして、造語をするということは、最終的には言葉を愛することだからだ。
 いい造語とは、〝子供移民〟のような場合を指すのであろう。清谷益次さんは以って瞑すべき(註=ここまでできれば、もう死んでもよい。転じて、「それで満足すべきである」の意)である。
 以上の一文を以ってオメナージェンとしたい。(終り)

写真=安良田済さん

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