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SC州の集団地を訪ねて=第39回県連ふるさと巡り=第6回=サンジョアキン=「日本人が町一変させた」=地元司祭が手放しで礼賛

ニッケイ新聞 2013年4月10日

オゼラス司祭

オゼラス司祭

 初めてサンジョアキンを訪れた曽我義成さん(75、岐阜、青年隊4期)は「日系の組合でもあれだけの施設を持っているところは少ない」と感心していた。
 同じく宮家文男さん(77、島根、コチア青年1回12期)も「コチア産組が崩壊して以来、どんな形でサンジョアキンが生き残ってきたのか、一度この目で見てみたかった。すごく立派な工場なので感心した」と頷いていた。
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 交流会の先駆者慰霊ミサで「1974に日本移民の先駆者14人が来て以来、この町は一変した」と褒め称えたのは、同地に57年間も住むマトリス教会のブレヴィオ・オゼラメ司祭(モンセニョール)だ。
 オゼラメさんによればこの町の産業史は3段階に区切れる。(1)町の創始から1950年までは細ぼそとした「牛を中心とした牧畜の時代」、(2)50年から70年頃まではパラナ松の切り出しによる「マデイレイロ(製材業)時代」で、「往時には160軒もあった。他に産業は皆無だった」という。ところが伐採しすぎて松が枯渇し町が衰退した。そこへ1974年に忽然と現れたのが、(3)日本人を旗振り役とする「リンゴ時代」だった。
 オゼラメさんは「フジ種は世界一この土地に合っている。リンゴ生産者はこの付近だけで1200戸もあり、実に多くの雇用を産み出し、若者に仕事を与えた」と手放しで礼賛した。
 オゼラメ司祭は「近年、ジャバリ(猪)が州内に北上してきたと聞く。元々はウルグアイとかから侵入したらしいが、大きいものでは200キロにもなり、地上1・5メートルぐらいまでの穀物や野菜は食い尽くすという。もしこの町まで来たらリンゴが危ない。でもIBAMA(国立自然環境保護院)は捕獲を禁止し、撃ち殺したら人間のほうが監獄にぶち込まれる。憂慮すべきことだ」と心配していた。
 一行の一人、ミナス州でバタタ生産をする長井光男さん(68、山口)=タツイ市在住=も「ミナスでは大豆やトウモロコシ農家を中心にジャバリの被害がかなり出ている。でも捕獲禁止だから困ったもんだ」と同意する。

かつて浪曲で鳴らした山口さん

かつて浪曲で鳴らした山口さん

交流会では現地の山口福友さん(75、愛媛)がマイクを前に、一行に訪問を感謝する言葉をのべた。聞けば、1960年に愛媛県人会の呼びせで渡伯し、聖州在住時の69年頃から浪曲師としてならし、「甚平渡し」などを唸って77年には「名人」位を取ったという。
 ところが「浪曲に熱を入れすぎて、農業では振るわなかった」とか。ソロカバで百合栄一さんの農場に入り、彼がサンジョアキンでリンゴ生産を始めたことから、呼ばれて同地に転住し、やはり百合農場で働いた。
 百合さんはコチア組合員として卓越した業績をすでに持っていた人格者で、サンジョアキンに来た当時すでに70歳だったが、未知のリンゴ生産に挑戦して見事に30ヘクタールの模範的農場を仕上げた。西森多光さん、岡本壮平さんらと並ぶ初期の功労者の一人だ。
 「百合のオヤジは、こんなワシを100%信用してくれた。84年には収穫の純益の4分の1をくれた。38町歩の土地、今住んでいる家、フォードの新車、トラクターが一年で買えるくらいの大金だった」とリンゴで再起した人生を振り返った。
 「ここは北パラナ出身者が多いんですよ」というのは、同地の佐藤俊彦さん(62、二世、アサイ出身)だ。父・彦也さんがコチア産組幹事で、74年に入植した草分けだ。「アサイでは大豆、とうもろこし、葡萄などの雑作をしていた」。
 彦也さん同様、アサイにいた岡本壮平さんは、同じ年に始まっていたミナス州サンゴタルドのセラード開発にコチア産組から責任者として指名されて赴いたが、土地はサンジョアキンに買っており、むしろこちらに本腰を入れたのだと振り返った。(つづく、深沢正雪記者)

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