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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第86回

ニッケイ新聞 2013年6月1日

「日本人のパスポートを使い、韓国語も話せない。同胞だといえば、逆に激しい怒りを買うだけだ」
 児玉の言っていることは大げさではなかった。
「民族の血なんていうのはしょせん虚構だ。俺が韓国で育てられれば、韓国人として成長するだろうし、日本で生まれて育つから日本人として成長した。生まれた場所の風土、文化の中で呼吸しているからそうなるんで、日本人の血を引いているから日本人になるわけでもないだろう」
「その血によって私たちは差別され、蔑まれてきたの。差別は虚構ではなくて現実よ」
「そのことは十分にわかっているつもりだ。君がそうした体験があろうがなかろうが、日本人の中に根強く差別意識があることはその通り。だからといって何故韓国に住む韓国人にアイデンティティを求めるのかがわからない。君たち在日をパンチョッパリと差別するのは俺たち日本人ではなく、君がアイデンティティを求めている韓国人だよ」
 「チョッパリ」とは豚の蹄の意味だ。日本人が下駄や草履を履くことから、日本人は豚同然という差別的な表現だ。「パン(半)チョッパリ」とは在日に向けられた蔑視の言葉だ。
「あなたはなんにもわかっていない」
「それは君の方だ。在日が韓国人にアイデンティティを求めるのは無理があると言っているんだ。新たなアイデンティティを模索すべきだ」
「差別している日本人にそんなことは言われたくありません。日本人になりすまして生きろと言われているみたいで反吐が出そう」
「俺はそんなことは言ってはいない」
「こんな言い争いをしている私とあなたが、一緒に暮らしてうまくいくと本気で思っているの」
「思っているさ」
「日本人と結婚なんかしたら、民族の純血は守れない。子供は二つの民族の狭間で苦しむことになる」
「君は子供はいらないと言っているのは、あれはウソなのか。朝鮮民族同士の結婚なら子供は産みたいということなのか」
「いいえ。何故私たちが日本人との結婚を忌避するのか、その理由をわかってほしいから説明しているの。日本人と在日は支配者と被支配者、差別する側とされる側、この関係は歴然としているわけでしょう。その両者が暮らしていけるはずがないのよ。日本人と結婚すれば、朝鮮的なモノはますます失われてしまう」
 児玉は小馬鹿にしたように笑みを浮かべた。
「何だい、その朝鮮的なモノっていうのは」
「家にはアボジ、オモニがいて、ウリマルが飛び交って、祖先の祭壇があり、祭祀が行われる。台所にはキムチとコチジャンの匂い、箪笥にはオモニのチマ、チョゴリが大切にしまわれている。そこかしこに民族的な伝統、雰囲気が息づいている。そうしたものが日本人との結婚で破壊されていく。それは私にとっては屈辱なの。その屈辱の意味があなたにはわからないでしょ。今だって、そうやって薄ら笑いを浮かべている」
 美子は火の点いたタバコを放り投げてきそうなほど怒っていた。美子自身にも言っていることが絵空事だというのは十分にわかっていたはずだ。実際に家庭で韓国語が飛び交うのは、両親が言い争う時だけだった。
 自分が思い描く在日としてのあるべき姿とおかれている現実とでは、あまりにもかけ離れていた。「朝鮮的なモノ」とは朝鮮文化ということなのだろうが、それを言葉にできないところに美子の苦悩の一端が現われていた。
 しかし、児玉にしてみれば、会う度に、太腿にナイフを突き刺し流れ出す血を無理やり見せられているような気分で、次第に鬱陶しく感じるようになっていた。
「日本人との結婚を拒否し民族の純血を守れば、民族文化も維持できる。そう言いたいんだろう」
 児玉の口調には侮蔑が込められていた。ナチスがゲルマン民族の優秀性を唱え、ユダヤ人を排斥し虐殺したナチズムとまったく変わらないように思えた。美子もそのことはわかっていて、弁解がましく言ってくる。


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