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ユタ——混交する神々=移民社会の精神世界=(5)=ユタは事実か迷信か=偏見に晒されてきた信仰

ニッケイ新聞 2013年6月14日

 「医者半分、ユタ半分」という諺が沖縄にはある。この諺は、ユタがどれだけ地域に根ざし、人々から頼られる存在であったかを示している。
 その一方で、古くからユタを脅威とみなした権力層からは「後進的な存在であり、世間を惑わす」と度重なる弾圧も受け、とくに戦後は前近代的な迷信として退けられてきた。また、金儲け主義のユタにかかって多額の費用を使い込む人は今も後を絶たず、ユタへの偏見は今なお強いという。
 現地の声を知りたいと思い、沖縄の歴史・民族・自然に関する書籍を多数出版している「むぎ社」(中城村)にメールで問い合わせてみた。同社の主宰者・座間味栄議さんは嘉手納町史編纂委員を務めており、サイト「御願ドットコム」でユタも含めた沖縄文化を紹介するなど、沖縄文化に造詣が深い人物だ。
 同氏の意見は「人心を惑わすという点では、現在でもなお弊害の一つといえるでしょう」と言うものだった。そして「ユタに依頼して問題解決に至ったという人よりむしろ、事態が複雑化して新たな問題を抱え込んでしまったと嘆く人の方が多いのも事実」「事態が複雑になればなるほど解決までの時間と労力が必要になります。当然、依頼者にとっては費用がかさみます」と説明した。
 こうした金儲け主義に陥った人々が、ユタの評判を落としてきたようだ。「沖縄では『ユタ御殿』などとやゆされるほど、『ユタはもうかる』という風聞が今なお生きています」との言葉には、沖縄におけるユタへの根強い批判を伺わせた。
 本土でも、人の弱みに付け込む霊能者は後を絶たない。が、それは民間信仰とは別物だ。ユタへの差別が悲劇なのは、それが祖先崇拝という沖縄の伝統と密接に結びついていることだ。
 二世、三世の時代を迎えたブラジルの日系社会では、こうした偏見も薄れているだろうと思っていた。しかし、取材を始めてみると、協力者を見つけるのは容易ではないと分かった。
 沖縄県人会館や県人会主催のイベントで尋ねてみたが、「ユタのことはよく知らない」と言う返事がほとんどで、「一、二度行ったことがある」という人からも、「詳しくはわからない」と詳細な体験談は引き出せなかった。
 一世の女性ならと思い婦人部の幹部に問い合わせたが、「そんなことに関わっている人はうちにはいません!」と、けんもほろろに取材を拒否された。当地の沖縄県系社会でも、タブー視されている話題なのかとすら思えた。
 しかし、後日この点についてエレナさんに尋ねてみたが、「私たちの施設はお金を取らないので、偏見はない」との返事だった。
 協会の活動が慈善行為なのは、「無償で受け取ったものは、無償で与えよ」というキリスト教や心霊主義に通じる理念を柱としているからだ。そのため、自発的な献金以外は一切受け取らない。
 また、彼女たちの言動には、祖先や霊に関する恐怖を煽る所もない。「怪しいもの」として霊媒師やその施設を敬遠する人が見れば、意外なほど明るく健全に映ることだろう。エレナさんは、「最近は子どもや若い人が来て、『何のために祈りをするの?』とか、昔は聞かなかったことをどんどん質問するようになって来た」と、嬉しそうに目を細めた。(つづく、児島阿佐美記者)

写真=協会設立以前、ノブコさんが通っていた心霊センターと見られる写真

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