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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2013年9月18日

 移民史上、最も政権中枢にいた日系人が13日に亡くなった。具志堅ルイス(享年63)だ。軍政時代には3人の日系大臣が誕生したが、みな大統領の「側近」「優秀な官僚」的な印象が強かった。具志堅の場合は自らの手で掴み取った大統領府広報長官の座だった。現役時代のルーラ大統領に面と向かって反論できる数少ない人物で「ルーラのジョーカー(懐刀)」とまで呼ばれた▼具志堅は反軍政の銀行組合運動の旗頭で、4回も公安警察に捕まり、一度は脱走までした強者だ。労働者党創立に加わり党首も務め、現政権の誰もが一目置く。選挙運動責任者として「私はブラジル人、決して諦めない」という標語を考案し、ルーラに被せて〃4度目の正直〃で当選させた大功労者だ▼03年に父昌永さん(沖縄県本部町)に取材すると「息子が脱走した時は、うちまで公安が調べにきたよ」と淡々と語った。親もまた肝が据わっていた。日系社会と縁遠いイメージだが、80年代には下議としてパ紙に度々来社していた▼実は昌永さんの記事が出た直後、大統領府から突然FAXがきた。父の記事に対する感謝の言葉を息子が送ってきたのだ。日系らしい細かな気遣いに驚いた▼具志堅はメンサロン裁判の被告になったが、証拠不十分で無罪放免、でもそのストレスからかガンが悪化した。当地の政治家は、大物であればあるほどツラの皮が厚くないと務まらないと聞く。日系ゆえの生真面目さが寿命を縮めたのか。事実、通夜でルーラは「具志堅はウソの犠牲になった」とメンサロンを皮肉った。親友の死をも政治発言に利用するぐらいの性根の持ち主でないと、当地で政治家は務まらない。(深)

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