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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2013年10月4日

 その昔、日本の会社に勤めていた時、東京晴海のビジネスショーでe—メールのデモンストレーションを担当した。その頃は、デモをやりながら「どうせビジネスの世界での話だ」と思っていたe—メールは、今やすっかり日常化▼「世界は小さくなった」という言葉はあの頃もしばしば聞いたが、コンピューターや携帯電話等の文明の利器の発展・拡大は止まるところを知らず、その恩恵に与っている人も無数にいる。だが、これら文明の利器を毎日使っていても、本当にその使い方や扱い方を知ってはいないと感じさせられる出来事に直面すると、自分達は文明の利器を使っているのではなく、使われているなと思ってしまう▼職場のコンピューターが動かない、携帯電話を取り替えたら使い方が違う等、にっちもさっちも行かなくなると、周りの人にどうすればいいのかと聞きに行くが、そういう時に思うのは、手を差し伸べてくれる人がいる事の素晴らしさと自分が何も知らないという事だ▼人という字は2画だが、各々の画の形や位置が違えば人の意味をなさない。また、人間という言葉は人は他の人との間で生きているという事実も伝えてくれる。そういう意味で、職場の仲間や家族など、自分の知らない事を知っている人が自分の欠けを補ってくれたり、互いを気遣ったりという血の通う関係は、仕事の上でも日常生活でも不可欠だ▼機械音痴を棚に上げてこんな事を言うのはおこがましいが、文明の利器が世界を小さくし、毎日の生活を便利にしてくれる中、本当の意味で日々の生活を潤し安らぎを与えてくれるのはやはり人と、の小さくて大きな確信が来た。(み)

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