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特別寄稿=新たな時代の最初の15年=エスタード・デ・サンパウロ紙=論説委員 保久原淳次ジョルジ

ニッケイ新聞 2013年10月9日

 我々の親たちが、届けられたばかりの新聞を貪るように読んでいたあの時代。あの活字への渇望に私たち子供は魅了されていたものですが、そこまでの熱意をもって読むべきだった重要な情報とは、一体どういうものだったのでしょうか。
 今はもう別の時代です。ものごと、コミュニケーション、人間とその習慣——。世界のすべて、あるいは、ほとんどすべては変化しました。
 新たな話題に目を向けさせ、昔からあるテーマに異なる視点をもたらすようなきめ細かく、詳細で信頼に値する情報やオピニオンに関心がある人や、社会の情勢をもっとよく知りたいという人は、依然として新聞を読んでいます。
 しかし、他のメディアの驚異的な進歩を前に、新聞はこれまで経験したことのない課題に直面しています。ほんの少し前までは想像もできなかったような大量で多様な情報を、即座に無料で入手できるようになったのです。
 「紙の新聞は、もう死んだ」。この比較的近年で、しかし容赦のない厳しい現象を受け入れている人は、こう断言しています。米国のワシントンポスト紙は昨今、インターネット通販大手の会社に新聞発行事業を売却しました。70年代に当時のリチャード・ニクソン大統領を退陣に追い込んだウォーターゲート事件を報じたことで世界的に認められたその価値も、今となっては取るに足らないものだと考えられているのかもしれません。
 もしそうだとすれば、「紙の新聞はもう死んだ」と思う人にとって、このワシントンポスト紙の話も、特に驚くべきニュースではないのでしょう。
 確かに、そうなのかもしれません。ただもしその考えが正しいと証明されたとしても、おそらく、問題は単にその形態だけです。世界を理解し、その利便性を享受したいと考える人や、紙の新聞をより良いものにしようというある種の集団精神を持ち合わせている人は、整然とした形で提供される価値ある情報を求め続けています。
 かつてのパウリスタ新聞と日伯毎日新聞が合併し、ニッケイ新聞とジョルナル・ニッパキが誕生して15年目を迎えました。今日はジャーナリスト、企業家、コミュニケーション学の研究者やその他の識者が、一般の新聞業界の将来を問うている時代ですが、これは日系ブラジル人向けの新聞にとってはより深刻な問題です。
 過去を顧みることが、ひょっとしたらこの問題解決のヒントになるかもしれません。戦後まもなく創刊されたこの二紙は、戦前から発行されていた他の邦字紙と同じく、移民とその子孫が関心を持っていた情報を広く伝えること、日本語、そして移民がもたらし子孫が受け継いだ価値を守り続けることにおいて、根本的な役割を担いました。戦後、互いに隔絶した人々が再び歩み寄る助けにもなりました。
 日本語に流暢な人がますます減ってきていることは周知のとおりです。時間が経てば経つほど、若い移民の子孫たちはますます自らのルーツから離れ、その結果として日系ブラジル人向けの媒体からも離れているようです。情報伝達の標準が世界規模で変化し、それに伴って潜在的な紙の読者が減る中、このような日系ブラジル人向けの新聞の存続はますます困難になってきています。
 しかし、他の紙媒体やメディアに満足していない読者の関心を引くことができれば、邦字紙には未来があります。過去はそれができていました。現在の厳しい状況において、再びそれを可能にしなければなりません。
 コロニアの活動に関する情報は、過去そうだったように、確実に今でも人々の関心を呼ぶものの一つですが、他にもテーマがなければいけません。日本文化の豊かさ、日系人がブラジルで育てた文化の豊かさ、文化や経済に至るブラジル社会への日系人の融合の形—料理、スポーツ、教育、医療など様々な分野の発展における日系人の役割—などが、それらの一部でしょう。想像力、創造性、観察力が、新たなテーマを見つけるためには必要です。
 品質ときめ細かさを損なわず、整然とした良い形でこれらの情報を提供し続けることが、新聞の長寿、活発に読まれ続ける将来への道となるでしょう。

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