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小野田寛郎氏が死去=ルバング島から帰還=元陸軍少尉

ニッケイ新聞 2014年1月18日

戦後30年近く、フィリピン・ルバング島に潜み、帰国後は青少年を対象にした野外教室「小野田自然塾」を開くなどした元陸軍少尉の小野田寛郎(おのだ・ひろお)氏が16日午後4時29分、心不全のため東京都中央区の病院で死去したことが17日、親族への取材で分かった。91歳。和歌山県出身。自宅は中央区佃1の10の5。親族のみで密葬を行う。体調を崩し、6日から入院していた。

1942年に応召。陸軍中野学校二俣分校で遊撃戦の訓練を受け、44年ルバング島に派遣された。終戦を信じずにとどまり、74年3月、約30年ぶりに帰還した。

75年にブラジルに移住し牧場を経営する傍ら、「子どもたちをもっとたくましく」とルバング島の経験を生かし、84年から日本各地で小野田自然塾を開催、5年後に財団法人化した。

91年には、福島県塙町の山林に施設が完成。キャンプ生活を通じて、子どもたちや野外活動の指導者を対象に自然教育の指導を続けた。

96年にはルバング島を22年ぶりに訪問した。著書に「たった一人の30年戦争」「君たち、どうする?」などがある。

死悼む親族「自分に厳しい人」=伯国から帰国後体調崩し入院

16日に亡くなった小野田寛郎さん(91)は昨年12月にブラジルで経営する牧場を視察し、帰国後に体調を崩して入院していた。「自分に厳しい人だった」。同居していた親族らは死を悼んだ。

小野田さん、妻町枝さん(76)と一緒に住む町枝さんの妹小貫和子さん(69)によると、16日に容体が悪化した後も周囲の呼び掛けに「うん、うん」と答えていた。小貫さんは「入院中も取材の予定を気にしていた。すぐ回復して家に戻るつもりだったのだろう」と話す。

聞かれれば戦争体験を丁寧に話したが、自ら語ることはなかったという小野田さん。小貫さんは「自分に厳しく、愚痴をこぼさない人だった」と故人をしのんだ。

出身地の和歌山県海南市に住む親族の小野田典生さん(63)は「最後に来たのは昨年5月。話をするのが好きで、いろいろなことを教えてもらった」と寂しそうに振り返った。

典生さんによると、小野田さんは「年に1回は地元に帰りたい」と話し、海南市でも毎年講演をしていた。

「幼馴染みいる日本で死にたい」=ブラジルで小野田農場経営

【リオ共同】「日本で死にたい」。16日死去した小野田寛郎さんは2012年2月、経営していたブラジルの牧場で共同通信の取材にそう話していた。

フィリピン・ルバング島から帰国後、親族を頼って1975年にブラジルに移住。晩年は東京都内で暮らしていたが、中西部カンポグランデ郊外に設立した「小野田牧場」に毎年通っていた。

小野田さんは「牧場が軌道に乗るまで10年かかったが、ルバング島での苦労を思えば全く苦ではなかった」と語り、「密林暮らしが長かったので暑い方が好き」と夏場にブラジルに通ってきた理由を話した。

一時は肺がんの疑いとの診断も受けるほど体調が悪化し、12年以降はほとんどブラジルに来ていなかった。取材では「人に迷惑を掛けず、家族の手を握って死ぬのが理想。幼なじみに最期に会えるから日本で死にたい」と語っていた。

12年までは訪問のたびに、日系人が多く住む最大都市サンパウロで講演。ブラジルでの最後の講演となった同年2月には、自らの体験を踏まえ「人は一人では生きていけない。周りの人に感謝をしなければならない」と訴えた。

長年交友があったサンパウロ在住の70歳代の日本人男性は「寝耳に水で驚いている。いつまでもお元気で安心していたのに非常に残念だ」と悼んだ。

終戦信じず30年間戦い続ける=自然教室で子供に命の大切さ教え

終戦を信じずに約30年間、フィリピン・ルバング島に潜み、戦い続けた元陸軍少尉の小野田寛郎さん(91)。日本に戻ってからは、自身の体験を子どもの教育に役立てようと、キャンプ教室を開き、自然や生き抜くことの大切さを伝えてきた。

小野田さんは1922年に和歌山県で生まれた。旧陸軍中野学校の分校でゲリラ戦の特殊訓練を受け、44年にルバング島に派遣された。戦闘が終わっても敵地に残って情報を収集する「残置諜者」だった。

作戦解除命令がなかったため、終戦後もジャングルに身を潜めてゲリラ戦を継続。72年にはずっと行動を共にしてきた仲間が現地警察軍との銃撃戦で死亡し、ひとりぼっちに。それでも「敵の戦闘機に見つからないよう」に山中を移動したり、牛を撃つのに使った銃弾の残りを数えながら「何年もつか」と考えたりし続けた。74年3月に発見され、現地に赴いた元上官らの解除命令を受けて山を下り、帰国した。

世間に順応できず、翌75年にはブラジルに渡って原野を開拓し、牧場を経営。しかし80年に日本で起きた浪人生による両親殺害事件を知り、「豊かな日本で自分を見失った子どもが増えている」と考え、「残った人生を日本のために使いたい」と日本に戻った。84年からは自然塾を開き、その後、福島県塙町で毎年夏から秋にかけ、野外キャンプ教室を主催してきた。

自然塾のホームページでは、どんな苦労や困難にもくじけないことを意味する「不撓不屈」の言葉を掲げる。ロープの結び方、火のおこし方、ナイフの使い方、沢登り…。「自分の身は自分で守るというたくましさを身に付けてほしい」との願いを込め、子どもたちの指導に力を注いできた。

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