ホーム | 連載 | 2014年 | リオ五輪で期待の伯国柔道=強化・普及の源流を探る | リオ五輪で期待の伯国柔道=強化・普及の源流を探る=(6)=10年無給でボランティア=講道館有段者会が果たす役割

リオ五輪で期待の伯国柔道=強化・普及の源流を探る=(6)=10年無給でボランティア=講道館有段者会が果たす役割

ニッケイ新聞 2014年2月12日
35年以上に渡ってミナス州で柔道指導を続ける松雄さん

35年以上に渡ってミナス州で柔道指導を続ける松雄さん

松尾三久さんの「根性のある、大きな大会で勝つ、とにかく強い選手を育てたかった」という野心のもと始まったプロジェクトだったが、「市は援助金を出してくれるわけでもなく、最初の10年間は無給状態が続いて、妻が日本にデカセギにいかなければ成り立たないような経済状態だった」と当時を振り返る。

継続的な活動が評価され、10年目頃からは市から助成金が出るようにはなったものの、それも月々たった1最低給与。それでも継続し、90年代後半になって「日本的な道徳、礼儀の観念を通して街に役立つ人材育成を」との理念が認められ、道場移転と共に教室が市のプログラムに組み込まれたことで、正式に市の職員となった。

「本当に苦しく、何度も何度もやめて別の街に引っ越そうと思った。今でも良い機会があればそうしたい」との言葉とは裏腹に、70歳を迎え、職員としては定年となった現在も指導者として現場に立つ。

市内の公立校やスポーツクラブでも指導を行ってきたことで、これまで指導した生徒は1万か、2万か、定かではないほどにまでなった。「日系人が少ない街で、東洋系の顔を見てバカにするような子どもたちが、柔道を通して『先生、コンニチハ』と自ら駆け寄ってきて挨拶が出来るようになった。厳しい指導に反発して、じぶんを恨むようになった子も多くいるだけに、やり方の全てが正しいとは言えない。それでも、続けてきた意味はあるのかな」と独り言のようにつぶやいた。

◎   ◎

石井、岡野ら戦後にブラジルに渡った数多くの講道館系柔道家を束ねる組織として、1957年に設立されたのが「講道館有段者会」だ。現在のメンバー約30人のうち、8割が戦後移民の一世、残り二割の中には日本で学んだ若い非日系も含まれる。

日本の講道館本部との太いパイプを生かし、代表選手の日本での稽古の手配や、聖州政府・聖州柔連との共同で日本国外務省が実施する草の根資金援助の享受実現に奔走し、270畳の広さを誇る柔道場「南米講道館」の開設に尽力するなど、選手の強化に多大な影響を及ぼしてきた。

富田常雄著『姿三四郎』のポ語版を出版するなど、講道館柔道の理念と精神を伯国社会へ伝播することに力を尽くしている。

ブラジル柔道連盟の昇段審議員を務め、昨年末のグランドスラム東京大会でも代表チームに同行したオダイル・ボルジェスが、「すべての五輪メダリストが講道館本部での稽古を経験している。伯国柔道が進化するためには日本との繋がりは非常に重要。有段者会はまさに両国のかけ橋として機能してきた」と話すように、柔連とも密接な関係を築いている。

伯国柔連は全国的な組織運営などを担い、柔道のスポーツ化によってメダル獲得数の増加、一般へのより広範な普及を目指してきた。それに対し、講道館有段者会は日本発祥の柔道の精神を重んじ、そのバランスを保つために忍耐強く対話を重ねてきた。90年代前半には、汚職の疑惑がかかった当時の柔連会長ジョアキン・マメデを糾弾し、資金の少ない選手の権利保護に尽力したこともあったという。(つづく、敬称略、酒井大二郎記者)

image_print

こちらの記事もどうぞ