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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=26

 神経をズタズタにされた我々には、口を利く力さえ残っていなかった。それぞれ無言のまま、機械的にその辺に散らかっている物を先ずは片付けようと共通の思いだったらしい。その作業に取り組んで気が付かなかったが、あっという間に外から大勢の人が押し寄せ、その辺に転がっている目ぼしい物を全部持って行く者に相次いで、口々に「日本人の物は何もない」「日本人の物は全て我々ブラジル人の物だ」と、我先にと手あたり次第何でも持って行くではないか。
 昨日までは近所付き合いしていたのに、なんという変貌ぶりだ。さっきの兵隊どもにそそのかされ、「日本人の物はブラジル人の物だ」と教えられたらしい。その日はそれでやっとの思いで追い出す事はできたが、明日からが思いやられる。
 その夜は、家族全員肩を寄せ合い、年老いた母の看病でまんじりともせず言葉少なに過ごした。夜が明けても母の足は立たず、医者に診てもらおうということになったが、バーラ・ボニータまで行ってタクシーを呼んでくることも出来なかった。
 仕方ない、16キロの道程をカローサ(馬車)で連れて行くしかない。4~5時間くらいはかかるだろう。足の立たない年老いた母の身を案じると一時迷ってしまったが、それ以外に方法はなかった。カローサの上に布団を何枚も敷き、みゆきが看護役で付き添い、3人で道に出た。
 その道は以前からひどかったが、母の辛苦で更にひどく思えた。家を出た瞬間から山や川、パスト(牧草地)を渡りながら、常に神仏に無事を祈りながら、母の身を案じつつ前へ前へと進んでいった。やっとの思いで5時間後にミネイロ・ド・チエテに辿りつき、その町のたった一人のお医者さんを訪ねて家の前に着いたら、ドトール(医者の名称)・メルカダンテがちょうど外診から戻って来るところだった。
 ドトール・メルカダンテは早速、私たちを案内し母の診療にかかった。その結果、骨は折れていないが、ひびが入っているとの事。ジャウーの町に専門家がいると教えてくれたが、これ位のひびだったら自然に治る事もあると言ってくれた。一応家に帰って皆に相談してみると言う事で一旦断り、一番言いづらかった話を切り出した。
 前日の出来事をできる限り説明し、そういう訳で診察料は今払えないが、棉を売ったら必ず支払いに来ると約束して帰ろうとしたら、「一寸待ってくれ、早く帰りたいだろうが、昨日の事について、話したい事がある」と言い出し、「バーラ・ボニータの警察署長は伯人特有の黄色人種嫌いで有名だ。戦争中の今、何をしでかすか分からない。だから充分気をつけてくれ。人の命には限りがある。今後、何か情報が入ったらあんた達のソシオ(共同経営者)のジョゼさんに知らせるからくれぐれも命の大切さだけは忘れないでくれ」と言い切った。「これはお母さんに、元気を出してくれるように」とファゼンダ(農場)で作られたリングイッサ(ソーセージ)とケイジョ(チーズ)まで渡してくれた。
 「自分はイタリア系で、日本と云う国と日本人を尊敬している」。そんな事を言うので、涙を抑えきれずに帰路に着いた。世の中にはこんなにも違う人間が存在する。ドトール・メルカダンテの温かい心遣い、優しく、心の温まる診療に癒されたせいか、母の表情も少し明るくなっていたような気がする。
 往復32キロの道程。カローサの揺れはひどくまたもや心配だったが、大事に至らなく、安心した母も不平一言も言わず、かえってみゆきに「腰の痛みも薄らいできているよ。心配かけてすまなかったね」と、母がやさしく声をかけてくれたので、心底嬉しかった。

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