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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=37

 一例として、認識派の者には営農資金を融資するが、そうでなければ長年の組合員であっても何とか理由をつけて融資を断るという、一種の踏み絵を強いるという悪辣極まる手段で認識派に引き込もうとしているという。
 あるいは文教普及会に就職が決まっていたのにもかかわらず、認識派に反対していた為、何とか理由をつけられ、就職を断られたという類の事件が相次いでいるという。
 当時の日本人社会といえば、ブラジルに来て5~6年という人が多く、コロノから足を洗った人たちが多かったが、棉の歩合作をしているのが大半だった。限られた日本人社会のどん底時代で日本人の8割程度が貧しい生活を送っていた。何とかして貧困生活から抜け出そう、這い上がろうと懸命に頑張っているときに、「貧乏で世の中の動きさえ見えぬ奴等に何が分かる」と罵られたら、真実はどうであれ、反感を持つのは人情というもの。
 当時日本人の大半が日本の勝利を信じていた。遠く離れている故、愛国心は増すばかりであった。烏合の衆でまとまりがつかないまま、勝手な自己流の解釈で戦況の事実の重大性にも気が付かず徒に時を過ごしているうちに、気早な血の気盛んな若者たちの間では、早くも敵性産業とみなされていた養蚕家と薄荷栽培者が危ういとの情報が飛び交っていた。
 ドゥアルチーナにも相当数の養蚕家があったが、その殆どが祖国を信じ、いわゆる最近の流行となっていた「勝組」に属する忠良な日本人であり以前より養蚕を天職として活躍していたのである。そんな人たちに目を向けさせてなんかならないと緊急会議が開かれたが名案は浮かばず、とりあえず各自知り合いのものを訪ね、用心を呼びかける紙を配布し、予防の方法を講ずるに留めた。
 その後、ガリア、ガルサ、マリリアと連絡を取り情報の交換を進めながら世情の動きに気を配り、慎重にと注意を促し、苛立つ心を静めながら一日一日の平穏を祈るしかなかった。そうしたある日「認識派」に慌ただしい動きが出たという情報が入った。「認識派」の頭分、町の第一人者と言われる村上氏のお宅に一通の脅迫状が投げ込まれたそうだった。警察署では早朝から数人で訴え出ているという。文面も差出人も分からないのだが、投げ込まれたというからには地元のものに違いないと言われていた。
 場合によっては何らかの疑惑がかけられ災いが及ぶのではないかとの心配が生じ、緊急に主立った者が集まることになった。しかし当の脅迫状の正体も皆目わからず、結果を待つしか無いと言う事になったが、皆心配で帰ることもできず、手に手に将棋の駒やトランプなどをもって時間を費やしていた。ちょうど2時間ほどたって、お昼ご飯の直前にどやどやと荒々しい足音を立てながら5~6人の武装した兵隊が、無言のままそこにいた7人に手錠をかけ、引き立てていった。
 大勢の野次馬が何事かと見ている中、連行されていくのが日本人ばかりなので不審そうに眺めながら、口々に何かを語り合っている。疑われるのはある程度推測はしていたし、覚悟もできていたと思ったが、「まさか」という気持ちが強かったろう。警察に着くなり、尋問も何もなく、そのまま汚い留置場に叩き込まれた。7人の中には言葉のできる人もおり、いきなり留置場に放り込まれた事に不服を申し立て、弁護士を要請したが、一向に取り合ってもらえない。昼飯も食わず、不安で神経もズタズタになっていたが、一同夕飯も拒否することに同意し、抗議を表したが朝になっても呼び出しがない。

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