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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=40

 私が仲居やホステスになっていれば、料亭やバーで働いている女性達が仲間としてかなり詳しい事情を打ち明けたであろうが、私は彼女たちの仲間ではなかった。   
 美顔術が縁となったある既婚者で二人の男の子の母親でもあり、もう四十歳近い年齢で安心して話ができた高野美知子は、
 「前にね、主人の仕事が上手くいかず、私が働くより仕方なくてねえ、働きに出たことがあるのよ、市内だから赤坂にね」と話し始めた。
 「一世の女性は、言葉が出来ないから、ああいう所で働くしか仕方ないのよ」とチューリップの花のようにひょろりと咲いて、陽のある方へ向きをかえるしかない女性たちのことを言った。彼女自身も花嫁移民で来たと言い、夫はヴィヤジャンテと言われる地方を対象としたセールスマンとのことで、会ったことはなかったが、彼女からは悪いイメージを想像させる愚痴を聞かなかった。まだ借家住まいであり、美容院をはじめたいと日系人の経営する美容学校へ通っており、その独立のときに役立てたいと私から美顔術を覚えたのだった。

 ペンソンにある日、邦字新聞の記者が訪ねてきた。私は仕事から帰ったばかりで、他の女の子が三人おり、女主人も台所にいる時間帯だった。サーラ(居間)は女主人の娘ふたりがテレビを見ていて賑やか過ぎ、私はその記者とドアの外へ出た。殺風景な通路に立ったまま、まだ二十四、五歳ぐらいの記者と、入り口のドアを閉めて用件を聞くことになった。
 記者と聞いただけで、なんでという思いが先に浮かんだ。こちらから記者に用件を聞く前に、彼は、
 「相馬啓次さんにあなたのことを聞きまして、花嫁移民から直接聞いた記事は、実は今まで一度も出たことがないので、総ての事情を聞かせてもらえたらと思って来ました」と言った。そのとき私は、
 「あの馬鹿、熊五郎!」と心のなかで思ったが、静かに、
 「私でなくても良いでしょ、面白い記事に出来る話は何もないですよ」と応えた。
 「話さないなら、こっちで勝手に書きますよ」と食いついてくる記者に、
 「勝手を書けば、私は私の権利を行使して争うことになりますね。私にも力になってくれる人はありますので」と決めつけた。記者はその言葉で帰って行ったが、まさか痩せてひょろひょろの女の子がこんな返事をすることは意外だったのだろう。翌日、  
 「なんてことをするのよ」と言う私に、熊五郎は、
 「記事を書かせてやれや、かまへんやろ、記事がないんやで」と驚いた言葉を返す。
 「嘆かわしい友達やね、熊五郎は」と私も返した。
 あの若い記者は、キツイ女の子の扱いかたを知らなかったに違いない。記事も出ず、それ以上何事もなかった。
 小柄で可愛い花嫁が、この熊五郎に来たのは一年後だった。熊五郎はふるさとを出る前に婚約をしており、いつも嵌めていた彼の右手薬指の金の指輪が左手の薬指に移された。
 花嫁のために彼が用意した家は、家賃は安いが、山の上の低所得者用だったため花嫁には住みにくかったに違いない。

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