樹海

 「桐の葉は木に朽ちんより 秋来なば先駆け散らん 名のみなる廃墟を捨てて 醒めて立て男子ぞ我等」―。母校の学生が今も歌う宣揚歌の一節で、2節後半は「よし涸れよ濁さんよりは」と続く▼木に朽ちるより、秋が来たら先駆けて散るとか、池の水を濁すより涸れた方がよいと歌った先輩達。この歌が出来た時の大学は既に涸れ、名前も場所も変わった(コラム子は移転後の4期生)が、在学中も繰り返し歌う曲だけに、その精神は全学生に植え付けられて来たはずだ▼父親が好きだった「なつかしの歌声」という番組は、その冒頭に「歌は世につれ、世は歌につれ」というセリフがあったと記憶している。折々に歌われる曲の歌詞には時代が反映され、当時の人々の願いなども込められている▼無論、歌う曲全てがその人の血となり、肉となる訳ではない。だが、何度も繰り返して聞いたり歌ったりした教えや思想が心の底にしみこみ、折々の判断や行動の規準となる事は否めないだろう▼コロニアで盛んなカラオケにも、歌を通して日本人の心や思想を伝えるという側面がある。日本の曲を歌うために日本語を勉強する人々もおり、広い意味での文化継承の場ともなっているはずだ▼先日、我が家の庭先に植えてあるアロエの枝が折れていたのに気づき、地面に挿しておいたら新しい芽が出始めた。胃の調子がよくないという主人のためにもらってきたボルドの枝も、しっかり根付いて枝を張っている▼全ての植物がアロエやボルド程強い訳ではなく、挿し木が出来ないものもあるが、歌や文学などが〃文化的な挿し木〃の役を果たし、日本人の情感や心意気を伝えてくれればと願わされる。(み)

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