サンパウロ州ミランドーポリス市の弓場農場(コムニダーデ・ユバ協会、弓場常雄代表)が創立80周年を記念し7月9日夜、舞踏家の大野慶人さんを招いて公演「花と鳥―内部と外部」を行なった。劇場は各地から訪れた500人の人手で埋まった。 「舞踏」は大野さんの父・一雄氏や土方巽氏が1960年代に確立した前衛芸術で、国外でも日本を代表する舞 ...
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憩の園、慈善バザー=園の歴史をパネルで展示
救済会「憩の園」(吉安園子会長)による「第41回慈善バザー」が15、16の両日、同施設(Rua Jardim de Repouso Sao Francisco, 881, Parque Maria Helena)で開かれる。入場料5レアル(抽選券付)。 今回は新たな試みとし、「Linha do Tempo」をテーマに63年間の ...
続きを読む »■訃報■千葉勇さん
ブラジル社会で最も有名な日系人の一人、精神科医の千葉勇(イサミ)さん(二世)が2日午後7時ごろ、サンパウロ市のシリオ・リバネス病院でがんのため亡くなった。享年74。伯字紙、テレビも大きく報道している。 ベストセラーの自己啓発本『Quem Ama,Educa!(愛するなら教育しなさい)』の著者としても有名。テレビにも頻繁に出演し ...
続きを読む »大耳小耳
1日付け大耳小耳欄で茶葉モリンガの葉の変色について触れたところ、モリンガの乾燥葉製造に携わるパ国在住の女性から次のような意見が届いた。「モリンガの葉はタンパク質を多く含んでいるため、乾燥温度や時間を誤ると腐敗し、茶に変色する。温度と時間を管理すれば緑の乾燥葉ができる。収穫後そのまま置いておくと茶ばみ、ドロドロと溶け出すし、常温 ...
続きを読む »『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(17)
「(冬のある日)底冷えのする寒さとなった。原始林に沈む夕陽が真っ赤だった。空は澄み切っていた。霜の前触れだった。山も畏怖する様に鳴りをひそめた。 霜! 人々は恐怖に脅えた。朝、全山が白銀に包まれていた。真っ赤な朝日が原始林から昇り、中天にかかり、落ちて行く頃には、昨日まで青々としていたカフェーの葉は、褐色に萎え、カラカラに枯れ ...
続きを読む »宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(14)
これで自分らの縁はおわりだと思うと、足もとに亀裂がはしり深淵に転落してゆく気持ちになった。 ところが、それは太一の思い違いで、彼は女性には月経のあるのもしらなかったが、はなもそのことは言わなかった。このように為すことすべてがちぐはぐな夫婦であった。いく日かたって女のほうから、男の手をもとめてきたので、太一は嬉しくなり不安がうす ...
続きを読む »一対の肖像画に込められた想い
平野植民地入植百周年式典を取材し、感じ入る点が多々あった。まず旧会館の舞台の左右に掲げられた一対の肖像画だ。3月に取材した時にはなかった。式典のために秘蔵品を蔵出ししたに違いない。左が松村貞雄総領事、右が平野運平だと一目で分かる。署名を確かめると半田知雄。依頼者の想いをくみ取る気魄が感じられる絵だ▼全伯のいろいろな会館で式典を ...
続きを読む »思い出=リベイロン・プレット 大河政義
1960年3月13日サントス着の『ブラジル丸』で移住してきた人達が、去る3月13日金曜日にサンパウロの群馬県人会に集い、午前10時から午後3時まで、55年間の歩みを回顧しながら大いに食べ飲みしながら楽しいひと時を過した。今度の集まりにも、コチア青年移民の人達が6名と多く、奥様同伴で出席して下さった人もあった。 『ぶらじる丸』 ...
続きを読む »イタペセリカ日本語学校開校80周年=サンローレンソ・ダ・セーラ 丹生登
1935年開校とのことですが、それより以前に始まった日本語学校が何ケ所も有った様です。しかし、現在までも続いてるのは他に少ないのではないかと思われます。特に第二次大戦中の40年から46年までは外国語の検閲が厳しく、ほとんどの日語校は閉鎖されたそうです。 イタぺセリカ日語学校の場合、官憲責任者が親日的だった事も幸いして、何とか続 ...
続きを読む »チキンスープ
患者にCanja
Canja スープは、昔、バスコダガマがインドのkenjiというスープを取り入れてポルトガル人が鶏肉を加えたと言う言い伝えと、中国のお粥、congeeがポルトガルに伝えられてブラジルで食べられるようになったという、言い伝えがあります...
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