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病院と共に半世紀歩む=産婦人科のピオネイロ

伊藤澄雄医師

伊藤澄雄医師

 「50周年を迎えられることを誇りに思います」―そう柔らかな物腰で語る伊東澄雄医師(79、二世)は、アマゾニア病院に勤務して49年になる、同病院の創成期を支えた人物だ。
 国立パウリスタ医大を1962年に卒業し、外務省の初の国費留学生として慶応大学の産婦人科に2年間勤務。留学後の義務研修として、「まともな設備も日本政府の支援もなかった」ころ、半年間を任期に汎アマゾニア日伯協会の実費診療所に派遣された。
 「不妊や子宮ガンの検査ができる専門医もいない。ここは仕事もたくさんあるし、暖かくていい所だ」とベレンに腰を据えた。現地に日本人医師がおらず、サンパウロ州から交代で医師が派遣されていた当時、伊東医師はアマゾン移民を支える貴重な存在となった。
 病院設立当初を知る関係者によれば、「伊東先生は人気があり、アマゾニア病院の看板医師。地域の産婦人科医療を率いてきた」。
 伊東医師は「はっきりしたデータはないけど、取り上げた赤ん坊は4千人くらい。その中から医者になった子もたくさんいますよ。9人はアマゾニア病院の医者になりました」と満足気に語った。
 今は顧問として病院を支える。「健康と仕事を与えてもらったことを神に感謝する。体が丈夫な間は病院を手伝いたい」と穏やかな笑顔を見せた。

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