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パナマを越えて=本間剛夫=83

 私はためらいながら、「そのことなら、ゲバラと会っています」とエスタニスラウ杜の会談のもようを話すと、大使は「そうだったのか」と大きく頷いた。
 私には三人の子がいた。一人は中学、二人はまだ小学生だった。すぐにも快諾の返事をしたかったが咄嗟のことで即断できなかった。心は焦った。大使のいうように、私は日本で生涯を終える気持ちは若いころから毛頭なかったので、十九のときブラジルの農学校に入ったのだ。海外に出ることは少年時代からの夢で、はじめはアメリカを考えたのだが、アメリカが日本人を排斥していることを知ると、やはり有色人種の国がいい。人種偏見のない国で、その国の人々とすぐ仲よしになって、その社会に溶け込めるような国がいい。
 するとヨーロッパはだめ、比較的近いカナダもオーストラリアも有色人の入国を制限したり、禁じたりしている。南米はどうか、アルゼンチンもペルー、チリも日本人を好まない。では日本人が多数移住しているブラジルがいい。
 丁度その年に日本で学生募集があって、エメボイ農学校に入ったのだ。その時、ボリビアから伊原大使が学校参観に来て、宿舎に一泊された折、夜おそくまで大使の南米農業についてお話を拝聴した。大使と私との師弟のような関係はそれ以来おことだった。
 伊原氏は革命後のキューバを訪れたことがあるからゲバラと面識があるはずだ。前述のように私は帰国後、日本の学歴がないため職を転々として、うだつのあがらない生活をつづけているのを大使はご存じだったのだ。外国の学歴を認めない日本の排他的な慣習に遭って、かつてアメリカやイギリスの日本蔑視を怒った私は、こんどは生国日本の変狭さに嫌悪を抱くようになっていた。伊原氏が私を「君は日本には向かない男だ」といわれたのは、私が帰国してからの経過をご存じだったからだ。
「ボリビアへいったら、ゲバラの行動をいちいち僕に報告してくれ、ラテンアメリカのみならず、アフリカにもアジアにも多くの虐げられた民族がある。彼の運動がアジア方面にも及んで日本の学生にも影響して不穏な動きが起きようとしている。そのため君にゲバラの活動を調べてもらいたいのだ。大使館では人手が足りないんだ」
 伊原氏はそういって私を送り出した。
 帰宅した私は、早速家内に伊原氏との話しの内容を説明した。家内は乏しい私の収入を扶蹴るために家庭教師をしたり保健の外交などで家計をきりもりしていたのだった。
「大使館勤務なら今より増しなくらしができるだろう……」
 私がいうのを待たず家内は反撃した。
「子供たちの教育はどうしますか。あなたは日本の学校を出ていないから職を転々として腰が落ちつかないのでしょう。わたし、子供たちのために、日本を出るのはいやですよ」
 家内の反論は予期しないわけではなかった。
 私は黙った。心のなかで、おれ一人で行こう。ゲバラの革命運動はキューバのように一、二年で成功するだろう。そのときは自分の任務は終わる。終わったらブラジルへ再移住だ。ブラジルには多くの知人がいる。彼らは十年ぶりの再会で歓迎し、適当な仕事口を世話してくれる。その先のことを思いわずらうことはない。天に任せよう。
 私は毎晩のように心にきめたボリビア行きを家内が納得するように話したが、彼女は黙したまま答えない。

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