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圧倒的な速さだけでなく、その甘いマスクでも人気の高かったアイルトン・セナ(By Instituto Ayrton Senna derivative work: Karpouzi [CC BY 2.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons)
圧倒的な速さだけでなく、その甘いマスクでも人気の高かったアイルトン・セナ(By Instituto Ayrton Senna derivative work: Karpouzi [CC BY 2.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons)

「セナは日本人が好きだった」=英雄の没後21周年を偲ぶ=親交深かった徳吉義男さん

徳吉義男さん

徳吉義男さん

 ブラジルの国民的英雄F1パイロット、アイルトン・セナ(Ayrton Senna da Silva、1960―1994)は今も人気が高い。昨年3月に没後20周年を迎え、各メディアが大きく報道したが、日本移民にもセナと関係した人がいた。コチア青年の徳吉義男さん(79、鹿児島)=タツイ市在住=は、同市にあるセナ家農場の一部を借地していた関係で、セナと昼食を共にしたり、農場経営に関する相談に乗るなど親しくしていたという。24日に取材した折り、徳吉さんは「セナは天才。彼は日本人のことが好きで、よく日本のことを話していた。あの人間は本当に惜しかった」と偲んだ。

 徳吉さんは「サンパウロ市のコンゴーニャス空港から30分だから、セナは時間があればセスナ機で農場によく来た。2時間いて戻るなんてしょっちゅうだった」と思い出す。当時、セナ家の農場は192ヘクタールあり、セナの父が双発セスナを所有し、農場内に私設飛行場もあった。その農地の一部を徳吉さんが借地していた。
 徳吉さんは鹿児島県姶良郡(あいらぐん)出身で1956年渡伯、コチア青年1次6回組だ。当時19歳、単身で渡り、1960年からタツイ市に住む同地の古参だ。「市長でも局長、警察署長だったみんな知り合い。そうじゃないと何かあった時ここじゃ生活できないよ」と豪快に笑う。

トウモロコシが大好き

セナと一緒に写った徳吉さん(徳吉さん提供)

セナと一緒に写った徳吉さん(徳吉さん提供)

 「彼の家族はゴヤス州出身で父が農場主で忙しく、お爺さんっ子だった。あそこはトウモロコシを朝昼晩と良く食べる習慣がある。だからセナも好きでね、いつも食べていた」。通常生産される搾油用のトウモロコシでなく、わざわざ米国産スイートコーンの種を買って農場に植え、それを愛食していたという。
 「僕が知り合った時はもう二十歳過ぎだった。彼は気さくな人柄で日本人が好き。僕のことを〃シッキーニョ・ジャポネース〃と呼び、何回も昼食を共にした。本田と契約していた関係で日本ではあちこちのフェスタに呼ばれ、『大歓迎を受けた』とよく言っていた。下駄、日本人形、法被とかいろんなものをプレゼントにもらい、持っていた。まあ結局、僕が全部もらったけどね」と、プレゼントした日本の人が聞いたら驚くような、意外なうち空け話をし笑いながらする。
 セナは1988、90、91年と3回も世界チャンピオンに輝き、89、93年には惜しくも2位に泣いた。88年にマクラーレン=ホンダチームに所属してから本領を発揮し始めたこともあり、日本では〃音速の貴公子〃と名づけられ、熱狂的なファンが多かった。94年3月にイタリアのイモラ・サーキットで激突事故を起こしてなくなったときは、国民葬が行われた。まだ34歳の若さだった。

「もし生きていたら…」

1992年にモナコ・グランプリで優勝したときのセナ(By Instituto Ayrton Senna derivative work: Karpouzi (This file was derived from: Senna 1992 Monaco.jpg) [CC BY 2.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons)

1992年にモナコ・グランプリで優勝したときのセナ(By Instituto Ayrton Senna derivative work: Karpouzi (This file was derived from: Senna 1992 Monaco.jpg) [CC BY 2.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons)

 当時、セナ農場では牛、豚、トウモロコシなどを大きくやっており、徳吉さんも相談に乗っていた。「セナが死んだ後、土地を買い足して今は480ヘクタールもある。ある農業技師が近づいて穀物中心に切り替えてしまったから、僕はそれから関係していない。セナは牧場が好きだったから、彼が生きていたら、牛を辞めることはなかったと思う」。
 最後に「セナは後身を育てようとカート学校創立を思い立ち、その練習路を完成し、これから学校を始めようという時に事故で亡くなった。本当に惜しい人を亡くしたと今でも思うよ。タツイの町だけでなく、ブラジル全体の喪失だよ」と繰り返し偲んだ。

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