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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第22回=岸本は勝ち組か負け組か

『曠野の星』第1号の表紙

『曠野の星』第1号の表紙

 暁星学園の卒業生は「岸本は負け組だった」と言い、パ紙OBは「勝ち組だった」と評価が平行線だった疑問を、第6節で書いた。この点に関し、『戦野』を読むかぎり〃勝ち組的〃としか言いようがない。いわば〃心情的勝ち組〃だ。
 認識派が触れたくない伯国官憲の弾圧を果敢に書く一方で、「日本は負けていない」という戦勝論者と同じ〃思想的土俵〃でものを考えている。
 『戦野』第三版の191頁から「永住か、再移住かの座談会」が掲載されている。そこには岸本をはじめとする「永住論者」4人、「再移住論者」3人、「不明」3人が激論を交わしている。
 ここで興味深いのは「永住論者」の言い分は限りなく負け組に近く、「再移住論者」はシンプルに勝ち組的であることだ。例えば、再移住論者の藤野純三は《私は枢軸、いや、日本が必ず勝つ!という信念的な観方からいうのですがね、現在日本が支配している南方の新版図には、非常に人的資源の不足を訴えています。われわれがブラジルへ来た当時は実際のところ、世界に行き場がなかったからブラジルに来たのですが、今は日の丸の旗の下に無限の天地が開けてきたのですから日本の国策の線に沿って新領土へ再移住すべきです。我々は一旦、東亜に結集し、即ちアジア人は一応、アジアに帰って、しかして後再出発し、膨張するのが真の進み方でしょうね》と語っている。
 これに対し、岸本は《われわれ在住者の中からも、ある少数の技術者達が南方の国策に参画するのはよいでしょう。けれども十年、二十年、三十年とこの地に踏み止まって、地盤を固めて来た大多数の移植民者はこの地において、日本の世界的政策の大理想を具現する貴重なる一石として重要使命を担っているのですから、民族的使命を自覚して、この未来の大宝庫に足場を固めて行くことが真の国策でしょうね》としっかりと噛み合った応じ方をしている。
 加えて、藤野純三は《この戦争が枢軸側の勝利になった結果は、地理的に見ても独伊はこの国に強力な足場を作るでしょう。そして数十年後には東西の両雄、日、独が戦争するようになるのは必然です》(204頁)との分析を披露している。
 つまり藤野は第2次大戦で日独が勝ったことを前提にした推測を述べている。ここだけを読めば、当時の代表的な勝ち組雑誌『輝号』に似た内容だ。「臣道聯盟」も基本は再移住論であり、55年まで続いた「桜組挺身隊」に至るまでの勝ち組系の一つ系譜といえる。
 岸本は日本の敗戦を認識しているが、それを相手に押し付けず、かといって「日本は勝っている」とは決して言わないところに特徴がある。「民族主義的」な共通点で相手と共感しながら「永住論」を展開する中で、お互いの妥協点を探る実にデリケートな物言いを展開している。
 認識派からすれば、このような座談会が掲載されること自体「危険」な内容だ。初版が出た47年9月時点では藤野のような「再移住論」を振り回していたものは沢山おり、彼らを「永住論」の方向へ軟着陸させる重要方向付けをしようとした座談会といえる。
 初版は556頁もあり、第三版(62年2月)は350頁と200頁も少ないが、この座談会はそこにも収録された。つまり、その当時でもこの内容を必要とする人が相当数いると岸本は考えたのだろう。(つづく、深沢正雪)

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