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ニッケイ歌壇(508)=上妻博彦 選

      サンパウロ      武地 志津

窓枠に小鳥囀るしばしの間硝子にふたつの影を映して
塵(ちり)ほどの小(ち)さき蟻たち煩(うるさ)きと思いおりしに消えれば気になる
絵手紙の面輪やさしき夫婦雛自(おのず)と心引かれて見入る
スザノ市に妹訪えばテクラード奏で聞かせる一と時楽し
 ※『テクラード』は、ポルトガル語でキーボードのこと。
窓に見る景は開けて外気澄みテラスの鉢植え生気に満ちる

  「評」周囲の小風景を切り取り、心象を滲ませる墨水画。

      グワルーリョス    長井エミ子

オリンピック引提げ走るブラジルの民ひっそりとただひっそりと
民主主義なれどいつしか消え失せる国庫の金やブラジルの怪
カルナバル果つれば次はパスコアで丸き地球の確かな歩み
物忘れ多くなりたるきのうきょう蝉しぐれ落つ裏山有りて
山鳥の小粒の卵二ツ乗る刈り忘れたる夏草の中

  「評」時局詠、どこかの国とのかかわりもありそうな、この頃の政界。七〇年代だったか、亜米利加に国毎売りとばしたら、と言う学生があった。今は思う。日本沈没にそなえ、日本に売りとばしたらなどと。三首目あたりに落着くのが、この国の宿命か。

      サンパウロ      坂上美代栄

障害を持つも愛され友の子は天真爛漫すくすく育つ
娘を助け小頭症の孫を見る友は明るく可愛いよと言う
空缶や古タイヤなど見つけ出しデンゲ恐るるぼうふらの池
洪水の引きし巷に現われる車の上に乗りたる車
洪水に旱魃あれど報い少し汚職の流れ大河となれり

  「評」二首目の下の句『友は明るく可愛いよと言う』を読んだ時、どきんとし胸を打たれた。人間生身一本の差異がどれほどのものか解らないが、汚職の流れを他にまで及ぼすこともあるまいに、と思う今頃。

      サンパウロ      武田 知子

国々の茶会に誘はれ旅せしも利休忌に又古都を尋ねむ
杖つけど未だ歩けるうちにとて誘はれしまま旅心湧き
旅用意和服一式携えて出来る限りの荷を軽くして
独り居は気楽に家を外にして夫の遺影はいつも携え
雛の軸師の句添えられ床の間に抹茶一服釜鳴りの中

 「評」道の文化を極めるといつまでつづく行脚、三首目五句『荷を軽くして』。四首目下の句に、覚悟を感じさせる。併しこの国に生きている以上、利休ほどの思いつめを脱ぎ明るい衣、明るい茶碗、明るい歌も詠んでいただきたい。

      バウルー       酒井 祥造

この夏の雨続く日々まだ果てぬまさにエルニーニョ千ミリ越しぬ
この年の記録に迫る雨の量記して晩夏にまだ降り続く
植林に雨の多きを喜びてユーカリの伸び月々記す
洪水と旱もたらすエルニーニョ昔なかりし記録を記す
人類の歴史を繰れば天災の無き年はなし地球の歴史よ

 「評」人間の目でとらえるエルニーニョ現象も、祥造氏の静かに見ひらいた眼から見れば、これはもう、地球のかなしい浄化作用をくり返し太陽を巡りつづけているのだと。

      サンパウロ      相部 聖花

残る日をひたすら生きし一週間夫攝らざりし現身(うつしみ)の糧
「覚悟せよ」夫逝く予告の言葉とも受けつつ側にて日びを務めぬ
法事には若き世代のあまた寄り思い出話しに時を忘るる

  「評」御逝去された夫しのびの歌、最全をつくされた聖花氏の思いが、三首だけに尚更表出されている。御冥福を祈り上げつつ。

      カンベ        湯山  洋

雨と日に茹る暑さの豆畑繁る葉隠に無数の小花
葉の裏の小枝に夾豆見え始め続く暑さに秋が近づく
花も済み夾豆膨れる豆の木の実の着き具合を念に調べる
枝豆の季節となりし豆畑食べ頃の枝を少し失敬
枝豆が大粒なれば豊作とビール飲みつつ畑を眺むる

  「評」農業を子供達に安心して譲り渡した作者の、それでも滲みでる農業への愛着を感じる。

      サンジョゼドスピンニャイス  梶田 きよ

バストスに住みたる吾の想い出は羽二重織りしことが最高
 ※『バストス』は、サンパウロ市より550kmに位置した人口2万人程の市。移住開発会社によって開発された日本人移住地があり、現在も日系人が多く住でんいる。
すぐそばにありし製糸工場は二、三度様子を見に行きしのみ
バストスの入植祭にて踊りたる『祇園小唄』は忘れることなし
バストスの中の人ら集り入植祭あの頃吾は何歳だっけ
無愛想な吾が扮せし浦島太郎適役なりと好評うけたり
あの頃は邦人の店が並びいて日本の風がそよと吹きいし

  「評」移住当初の回想『羽二重織り』『祇園小唄の踊り』『浦島太郎の適役の好評』と、どの作にも新天地での心象風景が表出されている日本の風を感じた入植祭の頃、『何歳だっけ』と。

      ソロカバ           新島  新

アマゾンを詠めば入選率高しみなみな彼の地踏まれて居るや
宣伝に初恋の味うんぬんとあったけどさあそれはどうかな
孫が短歌に手を染めし祖父の楽しみと苦しみが手に取る様に見ゆ
守宮が硝子に張り付いて尾を振り体くねらせてフラダンス為すよ
兄弟四人も居るが酒飲みの父の血を引くは弟一人

  「評」口語調で詠んでいて、解りやすく無駄のない風味を持つ作者。

      サンジョゼドスピンニャイス  梶田 きよ

何となく解る気がしてたのしくて英語の混る記事にもひかるる
読むものに興味おぼえてかゆき背を椅子に探らせ読書続ける
将棋には行かれぬされど短歌とはねても覚めても何とか出来る
卆寿経て何が好きかと問わるれば短歌と将棋にお赤飯かな
好物は色々あれど自分では何も出来ない耐えるしかない

  「評」二首目の『痒き背を』『椅子に探らせ』読書をする程の本好き、だからこそ短歌と将棋、赤飯これが卆寿を経ての楽しみと言えるのだ。

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