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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第15回=終わらないコロニアの戦後

エビ養殖場「ミランテ・ドス・ガンボアス」を視察した時の様子。この時の昼食時に中村さんから話を聞く

エビ養殖場「ミランテ・ドス・ガンボアス」を視察した時の様子。この時の昼食時に中村さんから話を聞く

 パ紙1954年1月15日付も、桜組挺身隊が前年11月から南聖のペドロ・デ・トレード、イタリリー、アナディアス方面に現れ、《「無料帰国」をエサに相当額の金子を搾取しているとの情報がある》と報じた。
 詳しくは《これらは相変わらず「祖国救援のための帰国」を説き、無料乗船の交渉は我々が行うといって、希望者から一人当たり二コントを徴収したのち、土地、家屋などの不動産は日本政府が絶対保証することになっているので、不動産売却に必要な委任状を貰いたいと、アナジィアスのタベレオン(公証人役場)を通して約百人の邦人から白紙委任状を取った後、十二月中旬に無料乗船券獲得には、ぜひ本人の出頭が必要である…とその出聖を促して行ったので、同月二十日頃には約八十人の無料帰国希望者が出聖した事実がある―》と書かれている。
 まさに中村家が騙されていた手法と同じだ。この一連の事件のロンドリーナ版に巻き込まれていたようだ。
 中村伯毅さんの妻・伯子さん(のりこ、77)の家族はマリリアだったが、やはり20年間近く、堀沢に騙されていたという。
 「マリリアからテコテコ(軽飛行機)に乗って、あちこちの植民地の上から、報告を書いた紙を落とすんです。ペレイラ・バレットぐらいまで行っていました。半分ぐらいの家族は10年ぐらいにで辞めて行った」。
 伯子さんの証言も同様に興味深い。「堀沢さんは『自分は特務機関だ』って言ってました。だから当時、うちの家族も戦後移民の話を信用しなかったんです。パウリスタ線にも騙されている人沢山いました。正直なものばかり騙されるんです。何月何日に日本からお迎えの船が来るからって。桜組挺身隊の事件が終わった後も、ずっとこっちの詐欺は続いていたんです」。
 桜組挺身隊事件は1955年4月に、警察によってサントアンドレの共同生活地は解散させられて終わった。でも、その後も帰国手続き詐欺自体は続いていたというのは驚きだ。戦後移民は1953年から入り始め、55年には戦後最大の集団であるコチア青年も入り始めた。時代は大きく変わり始めていたが、地方部の一部では、まだまだ詐欺師が跋扈していたのだ。
 中村伯毅さんの父と伯子さんの父中村真夫さん(さなお)が同船者だった関係で、1964年に結婚したという。
 中村真夫さんは10年以上だまされた末、最終的にわざわざリオに住む堀沢の家族に会いに行った。そこで「オカシイ」と思うようになり、それから堀沢の言葉に疑問をもつようになり、最後は本人に問い詰めた。
 「うちの父は堀沢さんと議論して、やっぱりオカシイと感じて『もう辞める』と宣言した。そのうち堀沢さんが亡くなり、1965年ぐらいにその繋がりは消滅したような感じです」。
 つまり〃コロニアの戦後〃が終わったのは、戦後移住の大波が通りすぎ、東京五輪(1964年)も終わった頃だった。あまりに壮絶な話だ。
 聖州、パラナ州を中心にあちこちに被害者がちらばっており、その実数は300家族、1500人以上は居たのではないか。にも関わらず、まとまった記録が残されていないのは、被害者が恥だと感じて証言を残してこなかったからだろう。中村夫婦の話を聞きながら、二人の勇気を心から称賛した。(つづく、深沢正雪記者)

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