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コロニア七不思議、日本の都市名が並ぶ街のナゾ

東マリナさん

東マリナさん

 カトリックに関する、ちょっと考えさせられる逸話を二つ立て続けに聞いた――一つは、「私の記憶が始まるのはブラスの移民収容所からなの」という言葉だ。3日に聖母婦人会のバザーに行った折、たまたま声をかけた女性からそんな言葉を聞き、赤子移民の頭の中をのぞき見た気がし、深く感心した▼言葉の主は東(あずま)マリナさん(88)、1928年6月13日に東京都で生まれた。「まだ5歳だった。なんか寂しそうな駅で降りて、不安そうにみんなが収容所に入っていく光景なの。よっぽど印象的だったんでしょうね」。そう少し悔しそうに言った。東さんの旧姓は「大内(おおうち)トリコ」。父が酉吉(とりきち)で、一字をもらった。「でも、その名前を好きじゃないから、洗礼名を名乗っているの」▼なんとか日本の記憶を探してもらった。すると、「突然地震が起きて、怖くて電信柱にしがみついた記憶があるわ。あれは東京よ。間違いないわ」という。祖国の記憶は地震だけ――これもまた考えさせられる逸話だ▼入植したのはソロカバナ線の耕地で、渡伯4、5年で父が病死。「家族はとっても苦労した」。17歳で終戦を迎えた。「日本の敗戦なんて信じない方だった。絶対に負けるような国ではないと思っていた。でも今になると、何であんなこと思っていたのかと思うわ。でも私だけじゃないのよ。あの当時、周りの大半の人がそうだったんだから」としみじみ振りかえった。「母は私が手に職を付けるようにと、赤間裁縫学院に入れてくれた」。実際それで身を立ててきた▼聖母婦人会が創立した頃からのメンバーなので、ドナ・マルガリーダをよく知っているという。「すごく度胸のある人に見えた。神様を中心に生きている人だったから、何が来ても怖くない―という感じかしら。近くで見ていたから、正直言って優しい人というより、厳しい人というイメージが強いわね。でも、そんなこと内緒よ」と笑った▼もう一つ、移民の日慰霊ミサの時、日本語の読み書きまで堪能なドイツ系二世(80)のフレイ・アレシオ神父から聞いた話にも興味を覚えた。サンタカタリーナ州サントアマロ・ダ・インペラトリス市で1936年に生まれた。さぞや日本滞在経験が長いかとおもいきや、1963~65年の3年間だけだとか▼なぜ日本語布教を選んだのかと尋ねると、「1960年頃、ドイツ人の神父が日本から日系コロニアに何人も来ていたが、みな80歳以上で高齢化していた。だから僕がその代わりになるようにと指示を受け、日本に勉強に行った」とのこと。なぜドイツ人神父がコロニアに来ていたのかと聞くと、「ドイツでは神父が余っていから日本に布教に行った。日本語ができるからコロニアにも」という。世界は繋がっている▼神父に以前から疑問に思っていた「なぜサンパウロ市北東部ビラ・マリア区のビラ・ジャポン周辺には日本にちなんだ街路名がたくさんあるのか」を訊ねた。金田街、京都街、長崎街、広島街、大阪通り、浅野街、東郷街、成田街、神戸街、東京広場、帝広場、有栖川街、大和街、天使広場、江戸広場、娘街など狭い範囲にぎっしり。その割に日系団体の活躍を聞かない地域であり、「日系七不思議」の一つだ▼神父は「昔日本人があの辺にたくさん住んでいた。私はあの地区の教会に一時期居て、たくさんの日本人に洗礼を授けました。そこから活躍した人がいたから顕彰したんです」という。活躍した移民の個人名を街路に付けるならその説明で納得するが、都市名が多いのはなぜか。まだ釈然としない。誰か真相を知っていたら、ぜひ教えてほしい。とはいえ、簡単には分からないからこそ「七不思議」だと、妙な納得をした。(深)

フレイ・アレシオ神父

フレイ・アレシオ神父

日本の都市名ばかりの街区

日本の都市名ばかりの街区

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