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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(39・最終回)

著者の平リカルドさん(平英新さんの息子)

著者の平リカルドさん(平英新さんの息子)

第18章  百周年祭

 二〇〇八年に日本人移住百年記念祭典が行われた時、平英新は八〇歳の誕生日を迎えた。妻のカンディダや息子のリカルド、娘のヤラ、それに孫のメリッサ、ウェスレイ、ドウグラス、カタリナ、嫁のマリアやその他の縁者たちは、サンパウロ州の海岸ぺルイベで2重の慶事を祝うことにした。
 その日、つまり、二〇〇八年二月二八日にこの本を書くという案が生まれた。また、インターネットのお陰で家族の歴史に深みを持たせることができた。というのも、週刊誌の「ヴェージャ」誌が自社のサイトに日本移民百周年を記念して、読者が自由に投稿し、家族の歴史を語れるスペースを提供したからだった。私は叔父の兵譽の失踪事件について投稿した。
 原稿が同サイトに載ってから何日かして、同じサイトに娘、平ジャニネの曽祖父の「兵譽」という名前について知りたいと書いてあったのだ。文章の主、シルビオ・ガスパルとアドリアナは青春時代に付き合ったことがあった。それからは、メール交換が頻繁に行われ、二〇一二年に一〇〇歳になるはずだった「あにさん」の生き様が次第に明るみに出されていった。

おわりに―――著者の注釈


平秋雄

平秋雄

平秋雄

 兵譽の行方は突き止めたが、家族には気がかりなことがもう一つあった。英三が何の手がかりも残さず蒸発したことだ。
 秋雄は自分の子どもたちがデカセギとして日本に出かける前に亡くなった。彼は癌に冒され、フルナスというサンパウロの北の果ての農園で一生、畑を耕す人生を終えた。それは英新の三人目の孫のドグラスが生まれる何日か前の一九八二年八月のことであった。秋雄叔父は優しい人だった。彼は笑顔をめったに見せず、いつも小さな声でぼそぼそと話し、我々が聞き耳を立てなければいけないほどであった。

山崎藤子

山崎藤子

山崎藤子

 藤子叔母は心臓病のため、一九八八年一二月に亡くなった。親切な、人を引き付ける魅力をもった女性だった。私は最初に彼女に会った日を今でも忘れない。彼女はプレジデンテ・プルデンテの自宅のベランダに座っていた。そんな彼女に私は門の前で声をかけた。「オバサン、僕は英新の息子です」と。すると、彼女は腰かけていた椅子から飛び上がり、「あまり驚かさないで。私は心臓が弱いのよ」と言った。

山崎重男

山崎重男

山崎重男

 重男叔父は二〇〇一年に亡くなった。彼はその場を盛りあげる話好きな人で、トラックの運転手をしていた頃の事をよくみんなに聞かせた。夫婦はナンシー、テレジニャ、セシリア、ルイザ、エリアナ、マリオ、ジョルジェという子宝に恵まれていた。
    ◎     
 英新とカンディダ夫婦が日本へ旅行したおり、ある事実が夫婦を感激させた。それは東京都がその都民に対して、どこにいようとも、親切な対応を示してくれることだ。
 サンパウロのパウリスタ大通りにある総領事館を旅行の入国ビザを申請するために訪れた時、キミジマさんという事務員が鹿児島に家族が所有している土地をどうするか決めるために、呼ばれている事実を知っているかどうかを確認した。
 もう幾日かニッケイ新聞、例えばサンパウロ新聞などに掲載されていた。もっと詳しく知りたい旨を伝えると、英新は、鹿児島県農業試験場大島支場から日本語で書かれた手紙を受け取った。その手紙には説明と謝罪が書かれていた。
 昭和五十二年、つまり一九七八年に国は新規に農協政策を打ち出し、そのプロジェクトを実施する為には新たに土地の分配を行わなければいけなくなった。大島支場は小・中規模の土地を買い取り、その中に平家の土地も含まれていたために同社が所有することになってしまった。
 また、所有主を探したが見つからなかったことも書き添えてあった。しかし、何年か後に政府は、外国を含む調査をもっと綿密にする旨指令をだした。その結果、農業開発研究所は平家名義の土地を残しておくことを余儀なくされた。
 手紙と一緒に土地の正確な地点を示す地図と土地税決済済みの書類が同封されていた。13平方メートルの小さな土地だった。このような、陛下の心遣いの真意は考えなくても分かる。13平方㍍の小さな土地に何か建てたり、植えたりすることはできない。
 だが、日本にも何かしらの絆があることを示す象徴のようなものを残しておくべきだと考えたのではなかろうか。平家名義のものがいつでも日本にあるのだという事実を。(終わり)

 2012年撮影の英新とカンディダ夫妻。曾孫のマヌエラ、フェルナンダや姪の曾孫があり、夫婦にとって、やしゃ孫といえるイザベラに囲まれて平穏無事な生活を営んでいる。

2012年撮影の英新とカンディダ夫妻。曾孫のマヌエラ、フェルナンダや姪の曾孫があり、夫婦にとって、やしゃ孫といえるイザベラに囲まれて平穏無事な生活を営んでいる。

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