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開発に燃えた青年隊が60周年=記念大会に国内外から164人=再会に笑み「5年後に会おう」

60周年を祝った関係者ら

60周年を祝った関係者ら

 南米開発の夢に燃えた青年たちが、ブラジルの大地に第一歩を印してから60年―。南米産業開発青年隊協会(渡邉進会長)は先月29、30両日、サンパウロ州郊外アヴァレー郡にあるアクァヴィレ・ホテルで、『60周年記念大会』を開催した。遠くは日本やポルトガルからも元青年隊員が駆けつけ、その家族ら164人で盛大に行われた。

 青年隊は、農家の二、三男を技能者として養成し、戦後復興のために役立てようと建設省により作られた制度。当時事務官であった長沢亮太氏らが奔走し、ブラジルへ送り込まれた326人の青年隊員は、農業を始め建設、通信、測量等の分野で国土開発に貢献した。
 同協会は、移住20年目の76年から5年おきに式典を行ない、今回で9回目。29日昼過ぎにサンパウロ市からのバスが到着すると、旧友との再会に胸を躍らせて待ち侘びていたパラナからの元隊員らと固く手を取り合い、互いの健勝ぶりを喜んだ。
 同日午後4時から記念大会へ。慰霊祭では、静岡県富士宮市にある興徳寺の住職である松永泰然僧侶が導師を務めた。先立った長沢氏や111人の仲間に黙祷を捧げ、焼香。続いて高らかな隊歌合唱が式典の開始を告げた。
 挨拶に立った渡邉会長は、56年に渡伯した17人の第一陣に始まる同隊の歴史を振り返り、「近代化の国家的事業の第一線で大きな成果を挙げてきた。青年隊移住者としての責任を果たしたのではないか」と称え、「111人の友に思いを馳せ、昔を懐かしみ、未来を夢見る楽しい一日にしたい」と挨拶。
 日本青年隊OB会「朝霧会」の栗田富夫会長も、「夢を持って前進し、足跡を残した姿はまさに青年隊の誇り。それを継承した二、三世の活躍も素晴らしい。今後、希望に満ちてゆくものだ」と功績を称える一方、「日本では人間の情が薄れている。青年隊の火を消してはならない。その魂を引継ぐため、微力ながら頑張りたい」と意気込みを見せた。
 各期別隊員からの挨拶が続き、パラナ州セーラ・ドス・ドウラードスの訓練所での共同生活の思い出が情景たっぷりに語られた。ケーキカットで節目を祝い、乾杯して夕食会へ。元隊員たちは昔に戻ったような心境で思い出話に花を咲かせ、夜遅くまで歓談を楽しんだ。
 翌日はゆったりと中心街にある教会や、湖、展望台などを巡り、参加者は思い思いの時間を過ごした。平島征也さん(77、福岡、10期)は、「50年振りに再会を果たせた友人もいた。こんなに嬉しいことはない」と喜びを浮かべた。別れ際、熱く抱擁を交わし、「また5年後に会おう」と再会を夢見て、帰路に旅立っていった。

 

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 青年隊員らは渡伯前、日本で1年以上の技能訓練を受けて渡伯した。後に中央訓練所が静岡県富士宮市に設置され、1995年まで4年制の建設大学校静岡朝霧校として存続したという。渡伯隊員と同じ訓練所で学んだという人や、「南米行きが打ち切られたために渡伯できなかった」という日本側OBもいた。ほかマレーシアやタイなどに渡った人も。夢を持って海外挑戦する姿は、内向きな日本の若者が見習うべきかも。

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