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三島由紀夫は、なぜコロニアについて書かなかったのか

 三島由紀夫とブラジルは相愛関係かもしれない。当地では『Depois do Banquete(宴のあと)』(Edinova、1968年)以来、代表作をほぼ網羅する約20冊もの翻訳書が出版された。日本人作家としては稀だ▼1951年は1月に日伯毎日新聞が戦後初めての芸能使節団・東海林林太郎らを呼び、4月に元皇族・多羅間俊彦さんが渡伯、12月に戦後初の黒石四郎総領事が着任した。そんな翌52年2月に三島由紀夫が来た。戦後移民が来るのはさらに翌年の53年だ▼当然、まだ勝ち負け抗争の余韻が強く残っている時期であり、日本から来た人には必ず「日本は戦争に勝ったか、負けたか」と尋ねた時代だ。そんな現実に三島はさぞや驚いたはずだが、杉山教授から「ほとんど日系社会のことを書いていない」と聞いて驚いた。国粋派作家としての「目覚め」は、まだ先の話なのだ▼リオとほぼ同じ日数である約2週間を聖州で過ごしているが、『アポロの杯』にはほとんど記述がないという。その謎を、杉山教授は「日本移民の多さ、新聞(邦字紙)で知れ渡っていたことの居心地の悪さと取材攻撃(中略)といった状況が、リオで自由を満喫した三島にとって面白くなかった」(『文学、海を渡る』(181頁、2016年、三弥井書店)と説明する▼三島は聖市での1週間の間に日毎、パ紙、サ紙、伯剌西爾時報、昭和新聞にも取材され、座談会までやった。伯剌西爾時報2月11日付のコメントには「臣道連盟の事件をぜひ聞きたいですよ」と興味を示した。この時、サ紙の水本光任邸にも立ち寄り、以後、書簡や国際電話を交わす間柄になった▼だが、当時の在留邦人との逸話で作品になったものがあった。《三島は或る日の午後、茂木(註=朝日新聞特派員)を電話で呼び出し、ホテルに来て自分を或る日本女性から救助してくれと懇願した(中略)。その女性というのはブラジル在住邦人の細君だったが、三島のいうところでは、彼を誘惑しようとしていたのである》(ジョン・ネイスン著『三島由紀夫 ある評伝』)との件だ。この逸話を使って、三島は短編小説『不満な女たち』を書き、文芸春秋で発表した▼教授の講演後、にっけい文芸委員会の浜照夫委員長から質問が上がり、「三島はその逸話を使って作品を書き、それが発表された日本の雑誌がこちらにも来て、『不満な女』のモデルにされた南米銀行の◎◎夫妻は悪い噂を立てられ迷惑を被った。その御婦人はコロニア小説を書く人だったので、『日本から気鋭の作家が来るから書き方を教えてくれとお願いに行った』のが真相だと聞いている。雑誌が出た後は、追い立てられるように遠隔地の支店を飛ばされ、どこに行っても後ろ指を指されたそうです。いくら有名人だからといって市井の移民を貶めていいものでしょうか」と咎めた。当時の三島にとって、過剰に日本を感じさせるコロニアは居心地が悪く、女性にも興味がなかったのか▼ほかにコロニアに関連した作品としては、マット・グロッソを舞台にしたオペレッタ「ボン・ジア・セニョーラ」(1954年初演)、多羅間農場を舞台にした戯曲「白蟻の巣」(55年)、長編小説「複雑な彼」(66年)なども書いているが「代表作といえるものではない」ようだ▼日本を離れてわずか1カ月あまりの三島にとって郷愁はゼロ。彼がブラジルに期待していたのは「日本を感じさせるもの」ではなく、「日本の常識から離れること」だった▼GHQ占領下の日本がようやく独立を目前にし、戦後の国家アイデンティティを模索していた時期だ。三島もまた世界旅行を通して、今までの日本の常識とは違う世界を体験し、その中で新しい自分のアイデンティティを作りなおそうとしていた▼だから『アポロの杯』で書き残したのは日本を感じさせる聖市ではなく、あくまでも「自由奔放なリオ」だった。歴史に「もし」はないが、晩年の三島が日系社会を再訪していたら別の感想をもったかもしれない。(深)

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