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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(73)

 然もその高校選抜チームの中に糸満市喜屋武出身の慶留間君がいた。
 彼は、字米須のウマイキーナングスク生まれのオバーの孫にあたる少年ということで特別親近感を感じ、うるま会館に招き激励会を催し交流を図った。

 これが契機となり1989年7月30日にはサンベンナルド・ド・カンポ市から特別に招待され、再度高校選抜チーム17名が来伯した。
 チームメンバーは別だが高江洲理事長が率いる17名はサンベンナルド・ド・カンポでジュニアチームと親善試合に参加して、その誼みで1994年にもサンベンナルドカンポ市から招待を受けて来伯親善試合で交流を深めた。
 但し高校生のサッカーに対する技術・能力や関心がどの程度伸展があったかは聞いてない。

4 沖縄県人移民80周年

県人会50周年記念祭典を挙行
日時:1988年9月17日
場所:在伯沖縄県人会会館大講堂

 1988年9月16日から18日まで3日間にわたる沖縄県人移民80周年・県人会創立50周年記念式典並びに祝賀会が開催された。

 戦後移民最盛期の1958年に移民50周年祭がイビラプエラ工業会館で盛大に挙行されたのを記録で知っているが、以来10年毎に周年行事が開催されてきた。

 1978年には、千人収容の堂々たる新会館建設を成し遂げ、そのこけら落としと県人移民70周年祭典がかつて見ない盛大な記念祭典として開催された。

 しかしながら私は、あまたの開拓先亡者たちの栄誉を称え、その霊を慰めるための行事をいまだ見たことがなかった。

 そこで80周年祭典にさいして、先人諸霊にたいする初めての追悼法要を記念祭典行事の一環として取り入れることにしたのである。
 祖先崇拝の念に深いわが県人たちにとって、80年この方、先人たちの偉業をかえりみて偲び讃える機会がなかったことは極めて残念と云う思いからであった。

 そこで企画されたのが、いわゆる「開拓先亡者追悼法要」である。
 ところが初めてのことで、その儀式や形式も知らないまま常識的な形式を考慮して曹洞宗南米別院仏心寺住職次山一道師の指導を受けながら、琉球古典音楽の野村流音楽協会相談役の仲本魁作師範と相談した。

 仲本氏は、開拓先亡者の苦難を追想し、その遺徳を偲ぶには琉球古典音楽の「十七八節」のしめやかで荘重な曲想が最も適しているだろう、と提示してくれた。

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