その時、フット気がついた。
おや! この人たち体臭がないではないか! こんなにたくさんのインド人が乗っている。この暑さ。この汗。
サンパウロではエレベーターに乗っていると、西洋人の体臭に気分を悪くすることが度々ある。どんなにシャワーを浴びても体の中から出てくる匂いはどうしようもない。
それなのに、このインド人達は不愉快なにおいが全然ない! 一体どうして? かといって香水の香りもしない。
もしかして食べ物かもしれない。彼らヒンズー教の人たちはベジタリアンだから一切肉食をしない。調理をする時にんにくを使っているが、それでも体臭はない。肉食をすることが体臭に影響しているのではないだろうか。
そういえば私が小さい時、祖母がたびたび言った言葉を思い出した。
「四足を食べてはいけませんで、体が臭くなりますけん」と。彼女はそう言って四足は生涯一度も口にしたことはなかった。
祖母の言葉が六〇年以上もたってから、はるか日本を離れてやっと理解できる時が来た。
肉食をすることが体臭を作るのだ。菜食すれば体臭はないのだ。
この汽車に乗って思いもよらぬことに気がついた。そのうえ祖母のことも思い出した。
この国の人たちには体臭がない。すごいことだ、生涯菜食ばかりしている人達がいることに尊敬の念を以てこのインドという国を見直した。
それでいて彼らは重労働もしている、というよりは重労働をしている人たちほど菜食しかできない生活を送っている。
考えてみれば、動物の肉や血を食べれば動物の匂いがするのは当たり前のことだ。今までどうしてこんな事に気がつかなかったのだろうか?
菜食ということは「汝殺すなかれ」に通じている。人間は他の動物を殺してまで食べる必要はないし、動物を食べなくても生きてゆける知恵を持っている。それに他に食べるものはいくらでもあるではないか。
何時だったか若いチベットの僧が飛んできた蚊を両手ですくうようにして捕まえて、それを窓の所に持って行き、両手を離して蚊を逃がしていた。
「殺すなかれ」とは地球上のすべての生き物を「殺すなかれ」。
菜食をするということは「生きとし生けるものを愛する心」に通じること。なんだか人生の大切なことを教わった汽車の旅だった。
(二〇〇八年)
カレンダー・ストーン(二〇一二年の予言)メキシコへ
ニューヨークの考古学博物館に行った時、アステカの「カレンダー・ストーン」を初めて見た。何と高さは私の身長の二倍以上もある。レンガ色をした円形で材質は石かテラコッタのようで、これを壁に垂直に立てかけてあった。
カレンダーだから我が家の風呂蓋くらいと思っていたのに、この大きさ、迫力には度肝を抜かれてしまった。よっぽど気分の大きな民族に違いない。
真ん中に人面が一つ、仁王様のようなギョロ目、開いた口に大きな歯が一文字に並び、舌が出ている。これは今、天上に輝いている五番目の太陽を現わしてあり、この周囲に、既に死んでしまった四個の太陽とそれ以外は絵とも文字とも判からない記号のようなものがびっしりと描かれてあり、「これはレプリカであって、本物はメキシコの国立人類博物館にあります」と説明書きがしてあった。