ホーム | 文芸 | 連載小説 | 私のシベリア抑留記=谷口 範之 | 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(24)

自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(24)

 少し呆然とした様子で立ち上がった彼は、自分の両肩に手を置き、雪の上に両肩をつける格好を見せた。そして片方の手で雪の上を叩き、分かったかというように頷いた。私も分ったしるしに頷いた。彼はレスリングの負けた時の両肩を地面につけていないから負けていないと言いたかったのだろうと察した。
 しかしもう一度やろうとはしなかった。彼は割った薪を抱え、私にもそうしろと身振りをした。ゆるい坂を下り、小川の傍の小舎の入口に置いた。薪を全部運び終えると、彼は手を振って宿舎へ帰った。
 彼は帰る前に、小舎の内部を見せてくれた。サウーナ用の小舎であった。入ったところは土間でその左半分は板敷である。土間の突き当りに、円形の石が一・五mの高さに、円錐型に積んであり、下部は開けてあって薪が燃えている。
 監督がやって来た。新しい薪を放りこみ、
「入浴しろよ。サウーナから出たら、必ず水をかぶれ。ここを出る時に、薪をつぎ足すんだ。忘れるなよ」
 と、噛んで含めるように身振り手真似で、私が納得するまで教えて帰った。薪をつぎ足して帰るのは、後から入浴する人のためであることが理解された。
 太陽はまだ午後二時過ぎの位置である。
 薪をつっこみ、教えられた通りに、焼けた積石に水をかけた。びっくりする程吹きあがった蒸気は、上部の穴に吸いこまれた。二杯目をかけ、裸になって浴室に飛びこんだ。
 蒸気を吸い込んだ穴の下側に、階段状に板が組んである。最上段に寝そべった。もうもうと舞う熱い蒸気に包まれているので、やがて体中が汗にまみれてきた。日本式に言えば一番風呂である。浴室が充分ぬくもっていないから、間もなく冷えはじめた。外に出て薪を放り込み、焼石に水をかけて浴室に飛びこむ。ここでの焼石に水は一〇〇%有用である。
 しっかり汗を出して浴室を出る。氷のように冷たい水をかぶってボロシャツで拭き、ボロ服を着ると体中が火照った。身も心もすっかり綺麗になったようで、新しい意欲が湧いた。
 監督も樵の集団も、私たち捕虜を見下げることはなかった。仲間と同様に接してくれる様子には、わざとらしさはなく自然であった。ほんの僅かな期間の交流であったが、最低以下の日常を強いられた日々の中で、珠玉のような心温まる思い出である。
 一二月。寒気はますます厳しくなったが、鷹揚なカンボーイ(監視兵)と量だけは充分な食料のおかげで、厳しい伐採作業も順調に進んでいた。

   四、シベリア松原生林の伐採

 だが、良いことばかりは続かなかった。
 晴天の朝、近くのシベリア松の原生林伐採の応援に行くことになった。着いてみると、凄いとしか言いようのない、見事なシベリア松の原生林である。幹周りを二人で抱えるほどの大木が、林立していた。一〇〇人はいるかと思われる、日本兵捕虜が伐採に取りかかっていた。
(註)一九九二年墓参行で初めて知ったのだが、ここはヴィルツア村といい、第二五四連隊第二大隊三〇〇名が、伐採要員として送り込まれた地であった。墓参行に同行した小山田知正氏はここの隊長であったが、彼は現場に出て、兵と苦労をともにした。