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コロニア語考=移民の知恵=中田みちよ=(3)

「コロニア詩文学」

「コロニア詩文学」

 つぎに全選集中、複数回使用されているコロニア語を挙げると、
*食事・炊事・飲み物に関するもの
アルモッソ、コジーニャ、ジャンタール、トマカフェー、メーザ、
ファッカ、レイテ、ピンガ、
*作業・道具に関するもの
エンシャーダ、トラトール、サッコ、カマラーダ、コロノ、
マルミッタ、ママデーラ、
*衣服に関するもの
カルサ、カミーザ、シネラ、ブルーザ、レンソ、
*人
ナモラーダ、モレノ、
*建物・地域
グルーポ、サンタカーザ、メルカード、ロテリア、ファゼンダ、
ボテコ、セントロ、バルサ、
*通貨・
クルゼイロ、シェッキ、
*作物・植物・動物
 バタタ、マンジオカ、ミーリョ、タツー、ビッショ
*天候
セッカ、
 戦後移民の私も、このような身近な言葉からコロニア語に慣れていきました。
 山中の一軒家では家庭内で日本語しか使わないのですが、カマラーダを使うにはポルトガル語が不可欠ですから、今度は家庭内に畑言葉が混入していきます。カルピは除草。ですからカルピにするを付けて、かるぴする、と使いました。動詞は例外なく「…する」動詞になり、これがコロニア語を形成する一般的なかたちでした。

ジャンタする。コルタする。アンダする。コメする。ドルミする。

 戦前移民はポルトガル語で動詞の活用をするなど不可能ですから、する―しない―した―しなかった、と語幹に活用形をくっつけ、それがコロニアでは立派に日常的に通用したのです。
 一方、ブラジル人カマラーダは「コメする」の「する」が分からなくても「コメ」で理解できたのです。まさに必要は発明の母です。農場の会話はこんな具合ですから、そのうち、いわゆるブラジル人が日本語を話すようにもなります。
 もちろん、双方ともクレオル語になりますが、そんな分別は学問上のことで、日常的には和気藹々と暮らしていたのです。文学上、カマラーダと日系の恋愛という風に扱われ、むろん、それなりの悲劇も存在しましたが、全般的に親密なもので、暮らしを楽しんでいました。
 錦衣帰国の夢をとりあえず脇におけば、見知らぬ花の彩りや芳香をはなつ未知の果物、めずらしい原色の小鳥の鳴き声が潤いをあたえてくれたのです。移民たちは、見知らぬ国で、こんな小さな幸せを無数に見つけていったのです。
 文学とは主人公の生きざまを哲学的に問うものがほとんどですから、このような小さな幸せは文字になりません。ですから大方の移民生活は悲惨という文字に集約されるのですが、それがすべてではありませんでした。
 ああ、コロニア語というのは移民たちの生きる知恵だったのだ、といまさらながら、感動しました。
 これって、最近の日本がしきりにやっている外来語の日本定着方式に似ていませんか。日系コロニアの方が一歩先を進んでいませんか。例えば今はやりの多文化共生時代、私たちは一世紀前から実践していたのです。
 特に、バイリンガルに関しては、コロニアに百年の長があります。わずかに、日本国内の出稼ぎ子弟の教育にかかわる人たちが専門家として講演したりしますが、とんでもない。
 コロニアには専門家が不在で、声を発していないだけです。一日も早く、現地の専門家が育ち、日本や世界に向けて発信してほしいと願っています。
 第2巻(1977年発行)は1957~1965年までの作品11編が収録されています。第二次大戦の終了後で作者は戦前5、戦後5、二世1名となっています。戦後、執筆意欲を鼓舞しようとして、文学賞が設置されたので、前山は助成文学賞時代とよびました。
 選集①は作品の舞台と人物がブラジルの農村で生きるものがほとんどでしたが、パウリスタ文学賞(注6)から、都会を舞台にしたものが多くなりました。作者の半数が戦後移民で、戦前と戦後移民に介在する違和感が主なテーマになっています。(つづく)
《注6》パウリスタ文学賞。パウリスタ新聞主催。1958年募集、創刊10周年を記念して設置された。s

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