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心田を開発するアマゾン森林農法=フィリピン農業に貢献した日本人=神奈川県在住 松田パウロ(林業技師)=(4)

カカオの楽園アマゾニア

マドレ・デ・カカオの花(松田さん提供)

 戦前の高拓生は、教養の高い若者ゆえに、すぐれた発酵食品に巡り会い、アマゾニアの風物を楽しんできた形跡がある。アマゾニアは1960年代に入り、南伯から押し寄せるブドウ酢に圧倒され、農家の自家製のカカオ果実酢は、ほとんど消滅してしまった。
 南伯のブドウ酢は、安定した品質と価格であるが、酢酸発酵の進行を楽しむ遊び心は無い。
 私は、高拓生の安井宇宙 (うちゅう)画伯にアトリエで会談する機会に恵まれたが、80歳を過ぎて頭脳明晰、若き日の大河周航を懐かしむ、大河流域の樹木の花々を、ひたすら懐かしむ。
 画伯の清楚なお住まいは、古都ベレンのナザレ地区に建つ。マンゴ並木の木漏れ日の中に歳月を刻むお住まいの、清潔で簡素な居間は、ご夫妻の穏やかな人柄を醸し出している。
 分厚い丈夫な壁面に油絵の大河物語が並ぶ。デジタル情報では表現不可能な男の情熱が、力強く壁面いっぱいに展開されている。宇宙画伯のお住まいは「城」というより「船」である。
 富とか名声に安住せず、心身の健康を追求し、白い雲に想像力を描き立て、緑の海に休養する。
 若き高拓生は、野生マモン(パパイヤ)の根を千切りにして大根の代用にして味噌汁の具に加えたり、未来志向の栄養学を実践している。野生のピラルクはじめ野生動物のアクの強い肉の毒を消すにマモンの酵素は有り難き存在である。天然のタンパク質分解酵素は、悪性タンパク質のみを集中して分解する。いわゆる毒とは、悪性タンパク質であり、死んだタンパク質でもある。
 天然マモン酵素を大量に摂取すれば、悪性腫瘍も消えてゆく。白い樹液の生命力を高める作用と表現したい。毒を消し、血液を清浄に保つこと、それこそ生涯現役への道である。
 未知なる病魔、毒ヘビ、毒虫などの猛毒に囲まれる環境には、良薬、妙薬が同居する。
 往時の高拓生は、小舟の揺れる吊り床(つりどこ)で瞑想し、夢を追い、大森林に溶け込んでいった。独身青年の熱血は突出していたものの、征服欲とか、支配欲を、全く感じさせない不要な我欲を無くして、真理を探究することが、戦前の日本青年の知性と教養に違いない。
 大河の浮き稲に巡り合い、過酷な麻の栽培に参加して、神話世界に生きる謙虚な心が醸成され、それに気を許したアマゾニアの女神は、青年たちに頑健な肉体を授けたと言えよう。
 アマゾニアの心田開発は、カカオ栽培の進化に象徴される。大河の周期的な大増水は、バルゼア(低湿地)のカカオ畑を押し流す。約20年くらいでカカオ樹は植え直さねばならない。
 伊勢神宮・式年遷宮の常若(とこわか)の精神を連想する。大河の運ぶ、荒削りなミネラルは、働き盛りの若いカカオ樹の果実に貯蔵され、人の手による発酵により開放される。
 荒削りの栄養素は、発酵して水溶性になり、人体に染み入る。このイオン化ミネラルの限りなき恵みの中で、その膨大な博物知識を仲間で分かち合う歓び。積み上げる教養。大河に生きる民は、文明から隔絶されているようで、林苑の中で健全な人間性を育てている。
 その日暮らしに見えるけれど、金よりも確かな価値ある菌とともに、心田開発を楽しんでいる。
 奥地では、学校も宿題も無いけれど、健全な音楽に、満ちあふれている。

大嘗宮と移民の家

 令和時代の大嘗祭(おおにえのまつり)の実施に向けて、しばしマスコミの論争は白熱した。
 ただし、神殿建築にふさわしい建材の調達が危機的状況であることは、全く報じられていない。
 テレビ画像に映る宮大工は、どうにか生活しているが、職人に素材を供給する職人集団の存続は、とうに限界を超えている。あまりに地味すぎる職種ゆえに若い後継者が全く育っていないのだ。
 ご神殿の屋根は、邪を祓う茅葺にすべきところを、カンナ仕上げの板材に代用するところからも、平成の大嘗祭から30年で、日本の森林資源の劣化をモノ語ってしまった。
 カヤ(茅)は、全国の大型河川で散見されるが、生活排水に汚染されていない植生は存在しない。
 本来、神殿に供せられる品質のカヤは、人里離れた奥山で注意深く育て、採集せねばならない。
 タケ材も、都市近郊に不気味に拡散する放任状態の薮から伐り出せば良いと言う気楽なものではない。節間の長さ、節の高さ等将来の利用を見据えて、樹木と混植し、計画的に伐るのである。
 神事において「邪を祓う」意義を想い、清浄な木材生産を目標とする森林農法が求められる。
 東南アジアの荒廃地において、カヤの仲間は林業家に最悪の雑草とみなされてきたが、浄化機能こそ注目すべきで、インドネシアのバリ島、フィリピンのボホール島などの南洋リゾートの茅葺き屋根の開放感を一度は体験してみたいものだ。
 建築素材をあつらえる努力は、よく休み、ゆっくり味わわなければ、絶対に理解されぬであろう。
 1970年代、南ブラジルやパラグアイから、大量の桐(キリ)の丸太が横浜港に押し寄せてきたことがある。広大で温暖な土地に植え放ち、ただ伐っただけのドス黒い丸太ん棒であった。
 伐って、集めて、鋼鉄の輸送船に押し込むだけの乱暴がまかり通っていた。
 キリ材は水中に貯木して、十分な休養を取らねば、商品にならない。当然、競り(せり)で買い叩かれるだけ。運んだ商船もガタガタ。船の修理に多大な出費が待っている。誰も儲からない、緊張感に欠ける雑な商売の仕組みは、誰も幸せにできないと教えてくれた。
 極めて清楚ではあるが、収穫の歓びを分かち合う祭典、皆が幸せになる仕組みは、すべて皇室の伝統行事に生きている。言葉遊びのようであるが、日本人の神殿とは、心田ではなかろうか。
 大嘗宮は、本来、耐用日数4日程度の仮設の宮である。丸太の柱を立てる絶妙なバランス感覚の原点は、今も南洋リゾートの茅葺きコテージに見ることができる。
 日本列島の歴史は、火山噴火、地震、台風からの復興の積み重ねであることを忘れてはならない。
 ご先祖様たちが、国土の荒廃から立ち直る気迫と闘魂を、素朴な丸太の柱は記憶しているのだ。
 住まいは仮設(かせつ)と割り切って生きれば、守るものは命だけ。心によどみを持つ暇はない。
 自ら樹を伐り、柱を立て、質素な庵(いおり)を結ぶ。ロウソクの灯火に親しみ、紙の本を読む。
 時至らば、庵を解き、土に還す。土は森を育む。ブラジル国の日本人農業開拓者は、縄文時代の素朴で力強い家づくりを自ら体験し、その子弟たちは今、電気、水道、公衆衛生などの都市基盤を支えている。心田開発を基調とする日本人の開拓魂は、南米に生きている。(つづく)

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