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手づかみで体得したブラジル=19年度交流協会生の体験談(3)=堀尾藍以「自分の可能性に気づいた」

カフェでの研修の同僚達と

カフェでの研修の同僚達と

堀尾藍以(東京、22)神田外語大学ブラジル・ポルトガル語専攻3年次終了後休学し、研修制度に参加。ブラジル日本交流協会(http://anbi2009.org/)の研修先はヤマト商事。趣味はバスケットボール。

 私は未知の世界を求めてブラジルへ渡りました。そこで、ブラジルと自分の持つ可能性に気づくことができました。
 私は高校時代、バスケットボール部の活動に全身全霊を注ぎました。キャプテンも務め、引退時にはやり切った感がありました。卒業後の進路には、語学に興味があったので神田外語大学を志望しました。
 その頃の心の中には、何かモヤモヤとした感覚があり、それは「私の中にはバスケットボール部での経験しかない。社会人になる前に自分をもう一段階成長させたい」という思いでした。そうした中でブラジルの存在を知り「いつかこの未知なる世界に渡って成長したい」という思いが芽生え、ポルトガル語科への入学を決めました。
 入学後、留学よりもリアルな生活や文化に触れることができると思い、ブラジル日本交流協会の研修に参加しました。その勘は大当たりだったと今は思います。
 実際にブラジルに来て感じたことは、「想像以上の未知の世界が広がっていた」でした。貧富の差は想像を超え、それでも人々は当たり前のように共生している。衝撃的な光景や情報が毎日大量に頭の中に入ってきて、最初の1カ月はショックで何が起こっているかわからない真っ暗な空間にいる様な気持ちでした。
 しかし、その状況に慣れるために時を頼りにしていたら、短い1年間で自分をもう一段階成長させるという目的を果たせないだろうと考え、行動することにしました。
 勇気を振り絞り、公園などで活動している、女子バスケチーム『Magic Minas』の練習に行くことにしました。受け入れてもらえるか心配でしたが、行ってみると、みんなが「Bem vindo!」と歓迎してくれました。
 『Magic Minas』は練習中メンバーが声をかけてくれる温かくて明るさの溢れるチームでした。みんなと繋がりを持つことができ、全てが脅威だった状況に安心できる空間が生まれました。お陰でやっと私の心のエンジンに火が入りました。
 それから岩手県人会で面白い人がボクシングジムの会長をやっていると聞き、行ってみました。そこではブラジルで働く日本人の方々が熱く練習していました。私も経験があったので練習は楽しく、優しくて面白い人達ばかりですぐに打ち解けました。
 練習以外でも交流を持て、より身近に安心できる関係ができました。何かあったら絶対助けてくれると密かに思っていました(笑)。
 私と同じく青森県人会館の寮に住む同年代の女の子達も優しくて、食材を分けてくれたり、危ないからとスーパーに付いて来てくれたりしました。台所でお酒を飲み音楽をガンガンにかけて踊ったのが、思い出として心に残っています。
 真っ暗だったブラジル生活に、心温かな人達が灯りを点してくれました。それが頼りになり、研修に全力を注ぐことができる様になりました。
 ヤマト商事での研修内容は、社長の秘書や、カフェでの接客などでした。任された事を責任持って進めることはもちろん、自分が貢献できると思った事を高木社長や責任者の方々に話し、動き始めました。
 しかし、動けば動くほど壁が立ちはだかりました。カフェでは、同じ接客スタッフであるにも関わらず、私が商品開発や宣伝などに携わることで、同僚からの反発が生じました。
 壁を無視してやることもできましたが、みんなとの関係を大事にしたい、私が居なくなった後も新商品やプロジェクトが続いて欲しいと思い、解決策を考え行動しました。積極的にみんなを助けコミュニケーションをとり、やりたい事は時間外に行うようにし、一人でやるのではなくその場にいる人を巻き込みながら取り組みました。
 そのおかげで、私の就業時間帯以外のスタッフとも、週に一回の休みの日に遊びに出かけるほど仲良くなることができました。
 異動後、同僚の子達が開発したメニューを提供しつつ改良に取り組んでいたことや「あい、戻って来て!」と言われた時には、涙が出るほど嬉しかったです。
 壁を乗り越える努力を続けた事、ブラジル人の同僚達が持つパワーや可能性に触れた事が、私を成長させ、夢を与えてくれました。
 地理的、文化的に真逆な自分の想像を超えた国で、温かい人たちに支えられ、チャレンジし続けた結果、ブラジルと自分の可能性に出会う事ができました。この経験は、これからの人生に力をくれると思います。
 渡伯前は、日本は堅くてチャレンジしにくい環境だと思い込んでいました。しかし、帰国後感じたのは、実は縛っていたのは、日本という国じゃない、自分の考え方なんだと気づきました。
 これから、この一年のように大きな壁にチャレンジし続け、夢を追い続けるかっこいい大人になります。受け入れてくださったヤマト商事の方々、交流協会の運営委員の皆様、関わってくださった全ての方に、心より感謝しています。
Muito Obrigada!!!

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