私は、安慶名篤成と同様に1世移民としてそれぞれの苦難を生きてこられた皆さんに本書の一読をお薦めしたい。
またブラジル生まれの新しい世代の皆さんにもポルトガル語版で是非とも一読されますようお薦めしたい。
一世移民の苦難を共に生きてきた子弟が書き綴った本書は、どんな困難の中にあっても家族の絆は如何にあるべきかを問い、そして人は如何に生き、またその心は如何にあるべきかについて、生きた言葉で一石を投じ、きっと読者を新たな自己発見に誘ってくれるに違いないと思います。
改めて本書の愛読を願ってやみません。
2020年9月30日
第1章 新たな希望
1929年。日本は、ニューヨーク株式市場の大暴落で始まった世界大恐慌の影響を受けて深刻な経済危機に直面していました。当時日本政府は、全国民に移民を受け入れていた国々に移住させるという政府による移民政策を強めていました。
父安慶名篤成(あつなり)は本州より南の島、沖縄で生まれ2人の兄弟と1人の妹と一緒に住んでいました。親の金次郎は学校の先生をしていました。長男の篤信(あつのぶ)は農業土木技師として沖縄県庁に勤務していました。本人篤成は次男でお母さんを手伝って農業をしていました。そして三男の恒信はまだ子供でしたが、成人になって徴兵された時には近衛騎兵連隊に配属されるほどの健康優良児でした。
その頃、父はすでに母カマドと結婚しており、篤政(あつまさ)と信綱(のぶつな)という二人の子供がいました。家族にもっと快適な暮らしを提供したい一心で毎日を過ごしていた父は、国の情勢を考えてある決心をしました。すでに移民としてハワイに住んでいた叔父を頼りにして、そこに移住することを決めたのです。
だが、丁度すべての書類が整った時点で、先に述べたニューヨークの株式市場に大暴落が発生し、大恐慌の最中にあったアメリカ政府は国が直面している危機を鑑みて、ハワイへの移民を禁止するに至ってしまいました。父の期待は一瞬にして粉々に砕けてしまったのです。
しかし彼は家族により良い生活を求めることを諦めませんでした。次の手段としてブラジルに 3 年前に移住していた従兄の政孝さんに連絡を取りました。政孝さんは直ちに全面的に父の力になると申し出、法的および公的文書など、他に必要であったすべての手続きを担って下さったのです。
そして1930年12月14日に出発が決まりました。ところが渡航の準備の最中に、父方の祖父が妻や小さな子供たちにそのような奇妙な冒険をさせることは賢明ではないと言い出し、結局父は沖縄に妻子を残し、遠い未知の国へと一人で旅立って行くことになりました。