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安慶名栄子著『篤成』(19)

 その夜、父は一人で泣き、張り詰めていた神経をなだめるように、そして妻への恋しさで初めてお酒を飲んだのでした。
 翌朝、でっかい毒蛇(ジャララクスー)が一匹部屋の前でピンと張っていました。おそらくネズミでも追っかけて家に入り、壁時計の後ろに入り込み、そこから出ようとしてあの前夜の変な音を立てていたのでしょう。
 さて当時、兄はとてもいたずら坊主で、いつも罠を仕掛けては小鳥などを捕まえたり、小川でヒメハヤ(ランバリー)を釣ったりして、彼自身がそれらの獲物を調理してくれました。それがとてもおいしく、父が作っておいてくれた食事に一品添えて昼食が一層おいしくなるのでした。兄は私たちを大事にし、とてもかわいがってくれました。
 新築された家は広く、私たち3人姉妹はホップスコッチやイス取り遊び、石けり遊びなど、いろいろと楽しく遊ぶことができました。が、兄の一番の友達、ガスパール家の長男エヂベルト君はもう近くにはいませんでした。それで兄はビー玉や玉けりの相手を私に頼むのでしたが、私はおてんばだったので、代わりにおんぶで家の周りを何回か回ったら遊んであげるとか、そんな条件を付けるのでした。
 そのように遊んでいるうちに、私も学校へ行く年になりました。すると、みつ子の面倒を見る者がいなくなりました。父と一緒に畑へも行けなかったし、まだ学校へ通う歳に達していなかったみつ子でした。すると父は、まだ年齢に達していないが、みつ子を私と一緒に学校へ通わせていただけないかと、先生に頼んでみました。優しい先生は快く受けて下さり、みつ子をもすごくかわいがってくれました。
 おばあちゃんは相変わらず、いつも私たちのところに遊びに来てくれました。父にとってもおばあちゃんの存在はとても心強かったし、私たちの成長と育成には欠かせない存在でした。
 私が9歳の時にお裁縫に心を惹かれたのを覚えています。父は即それに気付き、布や針、糸にはさみ等、少しずつ買いそろえてくれました。私はブラウスやパンツ等を縫うのに挑戦しました。おばあちゃんが来た時には全部縫い直してくれましたが、常にほめて下さり、間違ったところを修正したり、いろいろと教えてくれたりしました。
 時が過ぎ、私もあっという間にもう10歳になっていました。そのころでした。就寝時間になり、明かりが全部消えると、私の頭の中に日本の兄たちが戦死した知らせを受けた時の、あの父の絶望のどん底に落ちた痛々しい、本当に辛い慟哭が聞こえてくるのでした。そして私もそれを思い出すだけで涙が込み上げ、大きくなったらきっと父を幸せにしてあげよう、と幾度となく胸に誓いました。
 さて、その農地では父はかなりのお金を貯めることができ、ミラカツー市のムザーセアという地区で土地を購入しました。
 私たちの人生にまた大きな変化がきました。
ムザーセアには多くの日本人家族が住んでおり、汽車の駅を中心に日本人部落が2つの地区に分けられていました。
 父はいつものように積極的で、何人か友人を集め、日本語学校設立のために実行委員会を起こし、パラナ州方面から名の通った日本語の教員を呼び寄せました。

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