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《ブラジル》名優タルシジオ・メイラ死去=名物夫婦の夫もコロナの犠牲

若き日のタルシジオ(TV Brasil)

 ブラジル芸能界きっての役者カップルの夫として長年愛されてきたタルシジオ・メイラが12日、コロナ感染症のために亡くなった。85歳だった。タルシジオの死は、コロナワクチンを2度接種した後でのものだったことから、大きな波紋を投げかけている。12、13日付現地紙、サイトが報じている。
 タルシジオは1935年にサンパウロ市で生まれた。若い頃は外交官を目指していたが、1957年に演劇の道を志した。59年に当時の演劇界の権威だったセルジオ・カルドーゾに見出されてから、花を咲かせて出世し始めた。
 テレビ草創期の1961年に、トゥピ局のドラマ「ウマ・ピーレス・カマルゴ」でグロリア・メネゼスと共演。これがきっかけで恋仲となり、翌年結婚。ブラジルを代表する役者カップルの誕生となった。
 1967年にはグローボ局の専属俳優となり、1970年、同局初期の名作ドラマの呼び声が高い「イルモンス・コラージェン」に主役のジョアン・コラージェンとして出演。ブラジルを代表する人気俳優となった。72年にグロリアと夫婦で主演した「メウ・プリメイロ・バイレ」は、グローボ局初の全編カラー作品として知られている。1976年には、ドラマ「エスカラーダ」の演技でパウリスタ芸術批評家賞を受賞している。

 これ以降も、グラウベル・ロシャやブルーノ・バレットといったブラジルを代表する映画監督の作品に主要な役で出演し、83年には名女優フェルナンダ・モンテネグロのドラマでの代表作「ゲーラ・ドス・セクソス」、85年には前日11日に亡くなったばかりのパウロ・ジョゼとの共演となる「オ・テンポ・エ・オ・ヴェント」、さらに88年にはグロリアとのバラエティ・ショー「タルシジオ&グロリア」を成功させていた。
 近年も精力的に活動を続けていたが、今月6日にグロリア共々、コロナに感染し、サンパウロ市のアルベルト・アインシュタイン病院に入院。グロリアは軽症で近日中に退院の見込みだが、タルシジオは病状が悪化し、12日に亡くなった。
 タルシジオは3月にコロナバックの2回目の接種も終えていたこともあり、彼の死は多くの人に衝撃を与えた。だが、タルシジオは高齢の上に腎臓を患っており、集中治療室でも人工透析を受けていた。